「綾辻行人展」は好評につき、閉館日までの7月30日、31日もご覧いただけます。
27日は台風接近にご注意ください。
謹告
日本で唯一のミステリー専門図書館として1999年4月に開館した「ミステリー文学資料館」ですが、このたび光文社ビルの建替えに伴い、現在開催中の綾辻行人展の終了後、7月31日をもって閉館することとなりました。
長年にわたり「ミステリー文学資料館」を訪れていただいたファンの皆様、運営にご尽力いただいた多くの出版社や日本推理作家協会会員の方々には、心よりお礼申し上げます。
残された時間は少ないのですが、閉館までは資料館をこれまで通り運営していく所存ですので、ぜひ皆様にはご利用いただきたく思っております。
一旦閉館となりますが、今後もミステリー文学資料館の再開に向けての協議、活動は続けてまいります。
第22回日本ミステリー文学大賞受賞記念
謎は〈館〉で待っている――綾辻行人の世界展
――1987年『十角館の殺人』で新本格ムーブメントの先陣を切り、ホラーにも意欲的で2000年代『Another』に至る。戦後ミステリーの流れを変えた松本清張以後に、また新たな潮流を創るまでの来し方、行く先を見つめよう
期間:3月20日(水)~7月27日(土)
於:ミステリー文学資料館
日・月・祝日休館/4月27日(土)~5月6日(火)は10連休させていただきます。
館内は「撮影禁止」です。
2019年1月16日に東京演劇記者会会員7名による選考委員会が東京銀座・三笠会館にておこなわれ、南北賞が決定した。
『日本文学盛衰史』(高橋源一郎・原作)平田オリザ(ひらた・おりざ)
【受賞の言葉】
まず何よりも、素晴らしい原作の舞台化を快く許可してくださった高橋源一郎さんにお礼を申し上げたいと思います。小説と演劇を繋ぐこの作品を、栄えある鶴屋南北戯曲賞に選定していただいたことは、大きな意義があると思っています。
この戯曲は、北村透谷、正岡子規、二葉亭四迷、夏目漱石の四人の葬式の通夜振る舞いの席を舞台にしています。国民国家の形成と相似形をなすように、日本の近代文学を生み出した若き文学者たちの群像を、原作の魅力を生かして現代社会と往還させながら綴っていく作業は、それだけでとてもスリリングなものでした。
また、この作品は、兵庫県豊岡市の城崎国際アートセンターで制作されました。日本文学にゆかりの深い城崎で、集中して作品を作れたことも、本作の成功の大きな要因でした。
これからも演劇の可能性を広げるような作品を書き続けていきたいと思います。
ありがとうございました。
【受賞者略歴】
なお、候補作は下記5作品です(候補者50音順)。
第22回「日本ミステリー文学大賞」受賞 綾辻行人(あやつじ ゆきと)
【受賞の言葉】
同じ日時に隣接した会場で「日本ミステリー文学大賞新人賞」の選考をしている最中、いきなり廊下へ呼び出されて本賞受賞の報せを受ける、という珍しい経験をさせていただいた。そんなことが起きるとは、本当に露も想像していなかったので、とにかく驚いて、きょとんとするばかりだった。歴代受賞者の錚々たる顔ぶれを見て、「いいのか、自分などが」と戸惑う気持ちも強かったのだけれど、それでも時間が経つにつれて、「わが国のミステリー文学の発展に著しく寄与した作家」の一人として認められたことの喜びを、その重みとともにだんだん実感できるようになってきた。
今回の授賞は、デビューから三十一年間の悪戦苦闘に対するご褒美というよりも、三十一年選手にしてはちょっと作品数の少なすぎる不器用者への叱咤激励と受け止めたい。まだもう少し頑張って良いものを書くべし、と襟を正しているところである。
特別賞 権田萬治(ごんだ まんじ)
【受賞の言葉】
今回、これまで故人にしか授賞されたことのない特別賞を生きている間に受賞できたことはまことに光栄であると感じると同時に、ミステリーの最前線で活躍中の優れた作家の方々と同じ時代を生きてきた幸せを改めてしみじみと実感しているところである。
学生時代の私は、岡本太郎や花田清輝などによる前衛芸術運動に関心があり、特に太郎さんからは美術評論を書くように勧められたこともあって最初は色々迷いがあった。本格的にミステリー評論に取り組むようになったのは、当時の推理小説専門誌の『宝石』の編集長の大坪直行さんが、評論を重視して若い私に活躍する舞台を与えてくださったこと、松本清張さんの励ましがあったからだった。優れた作家、評論家、編集者に出会い、大学でもいい同僚に恵まれたからこそ、六十年にもわたってこの仕事を続けることができたのである。この機会を借りて選考委員を始めお付き合い頂いたすべての方々に深く感謝する次第である。
選考委員【講評】(50音順)
赤川次郎
いったん綾辻行人さんの名が挙がると、ほとんど議論もなく大賞に決定した。それほど「新本格」の旗手として、誰もがこの人を認めていたということだろう。
また、「本格」でありながら、一部のマニアにとどまらない、広い読者を獲得していることは、正にこの大賞にふさわしい。
まだまだ今後も長い活躍が期待できる方を選ぶことができて、こんなに嬉しいことはない。綾辻さん、おめでとう。
そして一委員から、「権田萬治さんの長年の功績に何か……」との意見があったとき、誰一人反対はなかった。私自身、新人賞のころから、ずっとあたたかく見守り続けていただき、特に近年は私の社会的発言にも常に支持を表明して下さって、本当にありがたいと思っている。今回、「特別賞」という形で、すべてのミステリー作家の感謝の気持をあらわせたことは大きな喜びである。
逢坂 剛
記憶に間違いがなければ、一九八九年の四月半ばに大阪で、新本格ミステリーの若手作家諸氏と、歓談する機会があった。そのおり、『十角館の殺人』で華麗なデビューを果たした綾辻行人さんが、わたしの作品のどれだかについて、「自分も、同じアイディアを考えていたのに、先を越されてしまった」とおっしゃった。わたしも、仕掛けには大いに凝る方だったので、その一言がすごくうれしかったのを覚えている。それから三十年近くたってしまったが、この賞に綾辻さんを推す立場になったことに、ひとしお感慨深いものを覚える。全員一致の授賞決定に、心よりお祝いを申し上げる。
特別賞の権田萬治さんも、同じく全員一致の推薦で決まった。ハードボイルドをはじめミステリー系の作家たちは、どれだけ権田さんの後押しに助けられたか、分からない。特別賞は、めったに出るものではないが、まさにふさわしい受賞者を得た、といってよい。
西村京太郎
ミステリーの本道は、あくまでも、本格である。その本道を、綾辻行人さんが、しっかりと守ってくださっていたおかげで、私などは勝手に、好きなミステリーを書くことが出来ると思っている。その上、綾辻さんの本格ミステリーは、文学性が豊かである。ただ単に、本格を守られているだけでなく、それに文学性を付け加えられたのである。また、多くの新人作家も発見し、育てるという地味な努力も惜しまなかった。今日、綾辻さんに日本ミステリー文学大賞が贈られることを歓迎し喜びたい。
今日は、同時に、権田萬治さんに、特別賞が贈られることになった。権田さんというと、私たち作家の傍に、いつもいる感じで、権田さんのいないミステリー界は、考えられない。殆どの作家が、権田さんに、批判され、時には、おだてられて、大きく育ってきた。私も、その一人である。ミステリー界が、今日、その功に報いることが出来たことは、嬉しい限りである。
東野圭吾
綾辻行人さんの名前が候補者の中にある以上、余程の理由がないかぎりは推さざるをえなかった。
私がデビューして二年後、講談社のある方から、「今度、すごい作品を出します。書いたのは、京都大学の大学院生なんですけどね」といわれた。『十角館の殺人』というタイトルで出版されたその本は、ミステリ界に衝撃を与えた。
新本格という名称は、昔からあったらしい。しかし世間に広め、定着させたのは、間違いなく綾辻さんだ。綾辻さんが出現しなければ、デビューしなかった、あるいはミステリを書こうとさえしなかった作家は少なくないのではないか。その功績は計り知れない。快く賞を受けてくださったことに感謝したい。
権田萬治さんについては頭を悩ませた。本賞は基本的には作家に贈るべきものと考えるが、これまでの貢献を考えれば看過しがたい。特別賞を、というアクロバットを捻りだしたところ、幸い賛同を得られた。これまた御本人の快諾を得られたようで安堵している。
『インソムニア』(「エンドレス・スリープ」改題)辻 寛之(つじ ひろゆき)
【受賞の言葉】
おおよそ小説の構造やパターンは過去に出尽くしたといわれますが、にも拘らず新しい小説が生み出されるのは、時代が変わり、抽象性が何度も語り続けられるということなのかもしれません。新人が生意気に、と怒られるかもしれませんが、今回栄えある賞を頂いた作品は過去の古典をお手本に作り上げました。そこに現代に通じる普遍性があると思ったからです。執筆にあたっては、力不足を感じながらも書き手の思いをどう伝えるかを考え、精一杯、真摯に書いたつもりです。伝えるべきことを読者に届ける技こそプロの力だと感じることがあります。拙い作者ですが、それが出発点だということを自覚して、これからも筆を執りたいと思います。その機会をくださった選考委員の先生方をはじめ、全ての方に感謝します。ありがとうございました。
選考委員【選評】(50音順)
綾辻行人
今回の最終候補作は総じてレベルが高かった。場合によっては難航するかとも思えた選考だったのだが、結果としては満場一致で辻寛之「エンドレス・スリープ」への授賞が決まった。
実を云うと、システムL「神なき国に」が僕の好みにはいちばん合う作品だったのである。明治十六年の函館を舞台に、飄々とした筆致で当時の街や人を活写しつつ、中心に置かれたのは豪壮なお屋敷での謎めいた殺人事件。古き良き本格探偵小説の香りを心地好く楽しめる。登場人物の造形も筋運びも、とてもいい。ただ、この種の作品の命である真相解明のロジックとその示し方が、これではいかにも弱すぎるだろう。そのため、強く推しきることができなかった。惜しい。
比して、「エンドレス・スリープ」には大きな弱点がない。巧い。現代のこの国の重い現実を見すえた社会派の意欲作である。自衛隊という組織の内部にいる人間たちの視点に寄り添いながらも、その背後に立つ作者の構えはすこぶる冷静で、眼差しも高い。紛争地で起こった「事件」の真相が段階的に見えてくるプロセスはスリリングで、最終的に提示される「真実」にも衝撃力がある。選考会では篠田節子さんが熱く推された。反対する理由は何もなかった。
越尾圭「まぼろしの人」も面白かった。冒頭から結末まで、意表を衝く展開の連続で飽きさせない。だが、一方でそれが「詰め込みすぎ」と「説明不足」を招いてしまっているのも確かだろう。これも惜しい作品である。
斎堂琴湖「アクリルムーン」については、気になった点を一つ指摘しておこう。物語の前半は主人公の三人称一視点で語られ、後半は同じ主人公の一人称「おれ」で語られる。何か狙いがあっての変則的な構成だと思うのだが、どうも正体がはっきりしない。こういったところが、あるいはこの作者の大きな課題かもしれない。
服部倫「捕食寄生」。他の四作に比べると落ちるが、それでも面白く読めた。近年の現実に溢れる社会問題を集めるだけ集めて作った――というふうなプロットには、個人的にはあまり感心しないけれど、どこか捨てがたいセンスを持った書き手だとも思う。
篠田節子
本来なら四本に絞られるはずの最終候補が五本。質的にも優れたものが多く、書き手にとっては厳しい年になってしまった。
「まぼろしの人」はよく練られたストーリーに加え、主人公の心情、判断、逡巡などが的確に語られ、かつ法律、制度、既存のシステム、ルールの中で登場人物が動かざるをえない展開で、安易に作られた娯楽作品にはない大人の小説の品格を備えている。もっとも肝心な殺人の動機についての必然性に疑問が残り大きな減点となった。
「神なき国に」は時代背景、風景、舞台設定に一読、人を引き込む魅力を備えた作品だが、殺人事件の共犯として収監された少女の態度や心理と、事件を巡る虚実の間に大きな齟齬(そご)がある。
以上二作品については例年なら入選して不思議はない水準に達していたが、「エンドレス・スリープ」の不器用ながらも圧倒的な筆力には一歩及ばなかった。テーマ、プロット、創作姿勢、すべて良し。書きにくく体力のいる内容をよくぞ仕上げた。プロの作品でさえ個別の戦闘や部隊内のあれこれで完結させるケースが多い中、帰国した隊員たちの悲劇を通し、現代の戦争と地域紛争の本質を描き出したことは喝采に値する。ただし技法的に稚拙過ぎて、小説の体(てい)を成していない部分が散見される。小説は説明ではなく描写だ。肝心の部分はシーンを立てて「見てきたように」描写すべきだ。だが技法は書けば上達する。この作者の大きな可能性と創作姿勢に賭けたい。
「アクリルムーン」は昨年に比べて長足の進歩が見られた。冒頭に提示される謎は美しく主人公たちが商店のシャッターに絵を描くシーンなど印象的なシーンもある。外連味(けれんみ)はこの人の美点だが、暴力と殺人、自殺の動機と結果については一考を要する。
「捕食寄生」ははみ出し先生が仲間とともに、教え子救出のためにワルと闘う。腐敗した警察も行政も頼りにならない。B級アクションの魅力満載だが既視感がある。この人なりのオリジナリティーをどこかで見せてほしい。
朱川湊人
文芸に限らず、新人賞に期待されるのは、何よりも“突破力”とでもいうべきものです。それは単に勢いだけの話ではなく、新鮮なテーマ、定石破りの展開、細部にまで行き届いたサービス精神など、ある一点に突出しているのみでも、十分な突破力に成り得ます。
今回、システムL氏の「神なき国に」と、辻寛之氏の「エンドレス・スリープ」の二作に、私はその力を感じました。特に時代と地域を多角的に描き出そうとする姿勢に敬服した私は、「神なき国に」に最高得点を付けて選考会に臨みましたが、ある論理に弱さがあり、完全に推し切ることができませんでした。しかし前半部の面白さは抜きんでているので、ぜひ再挑戦してください。「エンドレス・スリープ」は、やや一本調子なところが気になりますが、深いリアリティーと迫力でぐいぐい読ませる作品です。読後、これがフィクションでよかった……と感じたほどですが、すぐにでも現実になるかもしれないと思わせるのも、この作品の力でしょう。文句なしの受賞で、さらに磨かれて出版されるのを楽しみにしています。
残念ながら他三作品は、“突破力”の点で、やや難がありました。
越尾圭氏の作品を読むのは三作めですが、今回の「まぼろしの人」も前作同様の感想です。ディテールは緻密で申し分ないのですが、いくつもの重要点がボヤけてしまっているのが残念です。斎堂琴湖氏の「アクリルムーン」は、前作よりも格段の進歩を感じましたが、展開に納得しきれない箇所がいくつかある点、服部倫氏の「捕食寄生」は同テーマで優れた先行作品が多くある点で、評価が厳しくならざるを得ませんでした。
セオリーに則った展開や人物造形が悪いわけではありませんが、新人賞は読み手に「またか」と思わせるほど、突破は難しくなるものだと思ってください。むしろ“他人がやっていることは、絶対にやらないぜ”というくらいの気概が欲しいところです。
若竹七海
今回は五作品と多かったが、どの作品も読み応えがあった。その分、描き込み不足や練り込み不足への評価が辛(から)くなったきらいがある。
「捕食寄生」は軽快な語り口が楽しめたが、どこかで聞いたような事件だし、主犯の正体や主人公の絶体絶命といった肝心な箇所が第三者の説明で片づけられて残念だった。
「アクリルムーン」はショッキングな出だしから、一緒に絵を盗んで欲しいというボーイ・ミーツ・ガールの導入部にワクワクした。だが、画家の後妻が拳銃を持ち出し、義理の娘を従わせるといった流れにビックリ。テーマである「才能」も作中、何度も語られすぎてラストには訴求力が落ちていた。うまい書き手という評価は昨年同様だが、今回は話の展開がやや強引すぎたと思う。
「まぼろしの人」は、二転三転するややこしい話をテンポよくきっちり描き切っていて見事。だが、そもそも犯人がなぜ殺人というリスキーな手段を選んだのか、遺産は主人公に相続させて巻き上げれば済んだのに、自分の戸籍を取り戻すことに執着したのはなぜか、というミステリの根幹に関わる部分が腑に落ちなかった。
「神なき国に」には興奮させられた。人斬りのアクションは鮮やかだし、事件の一報に函館署員が三里の雪道を走って現場に駆けつけると山中に白い洋館が現れる、といった冒頭の展開、明治時代の函館の描写やキャラクター造形も素晴らしい。前のめりに読み進めたのだが、さんざん期待させたわりに真相が……。今回は推せなかったが、個人的にはぜひ、篠田(しのだ)警部が活躍する冒険小説なども読んでみたい。
「エンドレス・スリープ」は、南スーダンのPKOに参加した自衛隊の小隊がみた「地獄」をめぐる物語だ。「自衛隊の海外派遣の前提」と相反するような事実はなかったことにしたい、あるいはそれを暴きたいとする各方面の思惑や、隊員たちそれぞれの苦しみの中から、少しずつ真相が立ち現れてくる過程が実にスリリングで、現在の「藪の中」を描くのにこれ以上の舞台設定はないだろう。難を言えば、参考文献・サイトを表記していないこと、遺伝病がらみで村が出てくるのに実際の国名を使うのはどうかということ、最も罪深い事件が遺書で簡単に語られるだけで終わることだが、どれも改善可能だし、テーマ、プロット、文章もうまく、最高点をつけた。
魅力的な謎と論理的な推理で読者を楽しませる本格推理にこだわっていたせいなのだろうか、自らをもミステリアスな存在としていたのが鮎川哲也である。ながらく生年や学歴、職歴といったプライベートがはっきりとはしなかった。
終戦直後から作品を発表していたけれど、1956年に鮎川哲也名義の第一作である『黒いトランク』を刊行するまでの、まさに茨の道といえる初期の創作活動についても、結局、多くを語ることはなかった。1950年に『ペトロフ事件』で「宝石」の懸賞に入選したとはいえ、順風満帆ではまったくなかったのだ。
生年が1919(大正8)年と確定されたのも晩年である。もっとも、本人がエッセイ等で認めたわけではないけれど。そして2019年、生誕百年を迎える。残念ながら、本格推理への惜しみない愛を、直接聞く機会はもうないが、そのDNAは確実に受け継がれている。今なお日本では、謎と論理のミステリーが読者を魅了しているからだ。そしてもちろん、鮎川哲也作品が、多くの読者に愛されているのも言うまでもない。
今回の展示では改めて、その創作活動を原点から振り返ってみたい。ミステリーに導かれた翻訳作品、創作メモ、筆まめだったことを窺わせる手紙の数々、作家や編集者との交遊、幻の探偵作家の探索……。そのピュアな作家活動への興味は尽きることがないに違いないだろう。
2018年11月20日(火)~2019年2月16日(土)
日月・祝日休館/年末年始は12月27日(木)~1月7日(月)連休
さきにご好評いただいた『少女ミステリー倶楽部』の続編登場――純真な光と邪悪な闇をあわせ持つ少年たちの危険な魅力をテーマに、短編の名手たちが共演します。
「二少年図」村山槐多/「槐多二少年図」江戸川乱歩/「魔少年」森村誠一/「誰かが――父を」南條範夫/「美少年の死」戸板康二/「奇妙な等式」太田忠司/「凧」大下宇陀児/「サンタクロースの贈物」福永武彦/「かむなぎうた」日影丈吉/「鶯を呼ぶ少年」日下圭介/「少年の証言」伴野朗/「七歳の告白」土屋隆夫/「誘拐者たち」仁木悦子
9月5日の予選委員会にて、第22回「日本ミステリー文学大賞新人賞」候補作が決まりました。
予選委員7氏=円堂都司昭、香山二三郎、新保博久、千街晶之、細谷正充、山前譲、吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点、討議のうえ決定(候補者50音順)。
応募総数139編から、1次予選を通過した20作品は下記のとおりです(応募到着順)。
選考委員会は綾辻行人、篠田節子、朱川湊人、若竹七海の4氏により、10月23日におこなわれます。
選考結果及び選評は「小説宝石」12月号誌上及び当ホームページにて告知します。
【予選委員からの候補作選考コメント】
円堂都司昭
こうして最終候補五作が選ばれたわけだが、それ以外にも興味深い作品はあった。杉浦昭嘉「泥棒と私」は、前半と後半で事件の質が異なり回想の章が退屈であるなど構成に難があったものの、泥棒のキャラクターや軽妙な語り口に魅力を感じた。今後に期待したい。
今回の一次予選通過作で目立ったのは、既応募作を手直ししたものである。手応えを感じたから修正し再チャレンジしようと考えるのだろうが、推敲したにしては不備が残る例が多かった。書き直す時に原稿を客観視できず、自分を甘やかしてしまうからだろう。そうなるくらいなら、気持ちを入れかえて新作を書いたほうがいいとアドバイスしておく。
また、作中でレイプを安易に持ち出したり、セクハラ、パワハラをギャグに使う例も散見される。繊細な問題なのだから雑に扱わず、その描写は物語に必要なのか適切なのか、現在の社会通念において読者を不快にさせないかなど、留意してほしい。
香山二三郎
今回の二次予選は印字の読みやすい原稿が多くて楽だった。その反面、応募総数が減少、女性応募者の作品も少なかったのは残念。
最終候補作以外で印象に残ったのは、まず柳沼庸介『二百億円の身代金』。既応募作を犯人視点からとらえ直した誘拐犯罪仕立ての企業ミステリーだが、身代金収奪のわかりにくさが直っていないなどの不備が指摘された。
本間正彦『裁きの闇』は裁判員裁判の現場で裁判員が毒殺されるという不可能犯罪もの。謎解き趣向が際立っているのは好印象だが、たとえ一審で無罪になっても二審で逆転する可能性があり、犯行動機に無理があるのではとの批判あり。
杉浦昭嘉『泥棒と私』は売れない作家と泥棒の奇妙な絆の行方を描いた連作長篇。プロ作家らしいこなれた文章だが、ミステリーから離れたエピソードもあり、構成に少々難ありか。以上三篇、最終候補作と大差があるわけではない。捲土重来を期して下さい。
新保博久
20年以上、本賞の予選に携わってきたが本年で任期満了である。後任の諸賢はいずれもベテランで、釈迦に説法だが、任期ちゅう私が心がけたのは、そつのない無難な作品を予選通過させるよりも、危うげでも尖った作品を推すことであった(おかげで、たびたび他委員の総スカンを食った)。このことは後任者にというよりも、これから応募なさる諸氏にお伝えしておきたい。というわけで他委員が推薦してきた、既応募作を倒叙ものにリメイクするという掟破りの「二百億円の身代金」、八方破れの「泥棒と私」を支持しきれなかったのを残念に思う。
千街晶之
あと一歩で惜しくも最終に残れなかった『若駒は負けられない』を例に挙げる。この作品は人間模様の描写などは比較的好評だったものの、将棋に詳しい予選委員から「いくらなんでも将棋界の描写が古すぎる」という指摘があって最終候補入りを逸した。これに限らず、作中の情報をあと少しアップデートするだけでもっと高得点を得られた筈の原稿が、ちょっとした弱点を指摘されて落選することもあるので気をつけていただきたい。
細谷正充
今回だけではありませんが、規定枚数の上限まで書いてある作品が多かったです。しかし、ほとんどの作品は間延びしています。量は評価になりません。自分の創った物語の大きさを理解し、それに相応しい長さを見極めてください。また、長篇で扱うには、謎や事件が小さい作品も散見しました。これも物語の大きさの見極めが必要です。
次に、ストーリーについて述べます。主人公が関係者に話を聞いて回る展開が多すぎます。もっと工夫が必要です。関係者が、ほいほい喋るのも興ざめです。刑事ならまだしも、いきなり訪ねてきた人に、いきなり秘密を明かしたりしません。
なお今回は、職業関係などで事実誤認のある作品が、少なからずありました。物語そのものが成立しなくなる作品も、ひとつありました。それ以外では評価が高かったのですが、訂正のしようのない事実誤認なので、最終候補作に入れるわけにはいきませ。分かっているつもりの事実でも、ひとつひとつ確認することが肝要でしょう。
山前 譲
事件の動機が過去にあるのは、必然と言えるかもしれない。しかし、それが30年、40年、あるいは70年も前のこととなると、ちょっと首を傾げてしまう。そんな昔の事情をきっちり調べることができるだろうか……。たいてい、当時の関係者が抜群の記憶力を持っていたり、重要な資料が簡単に見つかったりする。
あるいは近過去を舞台にした作品も多いが、これもただ単純に、携帯電話やインターネットが普及していない時代を選んでいるとしか思えないものが多い。歴史ミステリーや時代ミステリーとして評価できるまで書き込まれた物語が少ないからだ。いくらフィクションだといっても、やはり時代考証がきちんとしているかは気になる。ひとつでも疑念の設定があると、物語全体の評価に影響してしまう。
どうしてこんなに謎の多い「現代」を描かないのだろうか? そこに「過去」を絡ませるには、それなりのミステリーとしての仕掛けが必要なのではないだろうか。
吉田伸子
他の予選委員の方も、この場で「使い回し」の原稿について注意を喚起してきたことで、「使い回し」原稿は減る傾向にあるのですが、今度は別の賞に応募した作品を「改稿」した作品の応募が目につくようになりました。以前にも書いたかもしれませんが、「改稿」というのは、自分とは別の読み手の「目」が入らないと「改稿」にはなりにくい、ということを心の何処かに留め置いて欲しいと思います。自分一人で「改稿したつもり」が、実は「微調整」にすぎなかったりするのです。ミステリでいえば、犯人が変わる、くらいのものでないと、「改稿」とはいえません。いや、そうじゃない、プロの作家だって雑誌連載から単行本する時に改稿しているけれど、犯人が変わったりはしていないじゃないか、と思う方もいるかもしれませんが、プロの作家とご自分を一緒にお考えにならないほうが良いです。何よりも、新人賞の応募作に求められるのは、「新しい作品」なのです。一つの作品に拘泥して、新たな作品に時間を割けないというのは本末転倒です。辛口なことを書いてしまいましたが、「新しい作品」は、常に応募されるあなたの内にあるのです。そのことを信じてください。
ご利用の皆さまにお詫びとお知らせ
「ミステリー文学資料館」は光文社ビルの修繕工事のため、下記のとおり臨時休館させていただきます。
ご不便をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
2018年7月7日(土) 終日休館
光文文化財団/ミステリー文学資料館
「遺産(レガシー)」として記憶にとどめたいミステリーを発掘紹介するシリーズ第2弾。
今回は戦前いちはやく「本格」を唱えた甲賀三郎の「琥珀のパイプ」「歪んだ顔」+探偵小説論としての随筆3編+甲賀の推挽でデビューし、本格にこだわりつづけた大阪圭吉の作品集『死の快走艇』所収の短編10作品+江戸川乱歩「序」、甲賀の推薦文をまるごと収録。
第22回 日本ミステリー文学大賞新人賞 ご応募は5月10日(消印有効)〆切です。
選考委員=綾辻行人、篠田節子、朱川湊人、若竹七海
※400字詰原稿用紙換算で350~600枚を、1行30字×40行で作成。
※自筆原稿不可。
詳しくは下記よりご確認ください。
第22回 日本ミステリー文学大賞新人賞 作品募集中
第21回日本ミステリー文学大賞受賞を記念して「まつろわぬ国を遊び尽くす――夢枕獏展」を開催中です。
――伝奇アクションに新風をもたらした『魔獣狩り』以下、ダイナミックな格闘小説、安倍晴明や空海を主人公にした伝奇小説、ミステリアスな山岳冒険小説、元禄時代に材を取った釣り小説など、自由奔放かつ精力的な40年の創作活動。一方で写真・釣り・登山・カヌー・プロレス等々、多彩な趣味も楽しんできた。映像化・舞台化された作品も多い。ここに展示したのはそんな夢枕獏ワールドのほんの一端である。とはいえ、その豊潤な作品世界を窺うことはできるに違いない。
於:ミステリー文学資料館
期間:2018年3月22日(木)~8月18日(土)
※日・月・祝日休館、なお、4月29日(日)~5月7日(月)は連休いたします。
「ミステリー文学資料館」をご利用いただき、ありがとうございます。
都合により、下記、繰上閉館させていただきます。
3月6日(火)及び23日(金) 14:00にて閉館
ご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。
以後、5月2日(水)の臨時休館以外は、カレンダーどおりの開館です。
2018年1月23日、東京演劇記者会会員7名による選考委員会が東京銀座・三笠会館にておこなわれ、南北賞が決定した。
「薄い桃色のかたまり」岩松 了(いわまつ りょう)
【受賞の言葉】
受賞の知らせを受けたのは23日、26日初日の舞台のことで頭と体がパンパンの時でした。
そしてこの賞はボクのことを嫌ってるんだと思わざるをえないほど候補になっては落とされていたので、今回も落とされたときの心の準備だけはしておこうと(それは賞への冷淡を自ら装おうことでもありましょうから)ことさら初日の舞台を案じる方へ心を傾けていました。その案じる心があまりにもリアルだったせいか、受賞の知らせはまさに「ボンヤリ聞いた」のでした。ところがそのあと、様々な人からお祝いの言葉をいただく中で、受賞出来てホントによかったな、と思うようになりました。こんなこと言うと、何を今さらと言われるのですが、この歳になって私はやっと周りの人たちの多大なる助力によって一本の芝居が成り立っているのだと痛感するようになりました。その支えてくれている人たちの「おめでとう!」が、こういう形でさらに私との共同作業を続けていてくれるのだと感じられたからです。
選んでくださった選考委員の皆さまにも感謝するしかありません。
ありがとうございました!
なお、候補作は下記5作品です(候補者50音順)。
夢枕 獏(ゆめまくら ばく)
【受賞の言葉】
まさか、わたしがこのようなミステリーの賞をいただけるとは、思ってもおりませんでした。
出身地も、棲んでいる場所も、SF国とファンタジー国の境目あたりにある国名すらさだかでないあやしいまつろわぬ国であります。そのまつろわぬ国で、時おり格闘技の大会を開催し、山に登ったり、カヌーで川を下ったり、釣りをしたりして遊んでおりました。
それで、書いた作品がなんぼのものかというと、これが実は本人はよくわかっておりません。
自信があるのは、好きなことだけをやってきたということくらいです。
遊んでいるうちに、いつの間にか六十六歳になって、そろそろ残り時間のことを考えて仕事をしなければいけないと思いはじめたところに、受賞の連絡をいただきました。
ありがとうございます。これからも休むことなく書き続けてゆきたいと思っています。
来世、たとえ虫に生まれかわろうとも、物語を書いてゆきますので。
感謝。
選考委員【講評】(50音順)
逢坂 剛
夢枕獏さんは、厳密な意味でのミステリー作家ではない。しかし、あらゆる小説はミステリーである、との考え方に寄り添う立場からして、夢枕さんの受賞はまったく至当なもの、といえる。むしろ夢枕さんは、ミステリーという孤高の山の裾野を押し広げた、最大の功労者の一人といっても、間違いではないだろう。いわゆる伝奇アクション、と呼ばれるジャンルを確立した先達の一人だが、それだけでは飽き足らず格闘小説、幻想小説、山岳小説、時代小説などへ枠を広げて、おのおのの分野で一家をなす才筆の人である。シリーズの息の長さも半端でなく、その泉のような創作力は尽きることを知らない。まさに、天性のストーリーテラーにふさわしい仕事ぶりに、同じ作家として拍手と声援を送りたい。最後に、作家は作品で勝負するのが本分に違いないが、夢枕さんは人柄でも十分に勝負できる、人格円満な好男子であることを付け加えておく。
権田萬治
夢枕獏は自分の小説の原点は、『西遊記』だと語っているが、その言葉どおり、氏の作品には、人間の能力の極限まで一つのことを追究しようとする求道者に対する畏敬の念と、心の中の深い暗闇に棲むさまざまな恐ろしい魔物に対する強烈な関心が流れている。
『魔獣狩り』、『餓狼伝』、『陰陽師』、『上弦の月を喰べる獅子』、『神々の山嶺』、『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』などの作品は、伝奇サスペンス、格闘技小説、オカルティズム、SF、叙情と幻想、山岳ミステリーなどと呼ばれたが 中でも『神々の山嶺』は、氏の優れた資質のすべてを投入したともいえる代表作だ。
山岳ミステリーであるとともに冒険小説であり、敢えて死の危険をも顧みず、エヴェレスト南西壁の冬期無酸素単独登頂を目指す孤独な登山家羽生丈二の肖像を山岳写真家の深町誠の眼を通して見事に描き出していて、感動的だ。大賞にふさわしい作家である。
西村京太郎
毎年、ミステリー文学大賞の時期になると楽しさと苦しみが交錯する。楽しみは、現代を代表する作家の名前を確認できるからだし、苦しみは、その中から、一人を選ばなければならないからである。
特に、今回の候補者は、ミステリーの中でも、それぞれの部門の第一人者なので、選ぶのが難しかった。恋愛ミステリー、本格ミステリー、或いはパズラー、それぞれに活躍されているからである。私は、迷った末に、夢枕獏さんに一票を投じた。
私は二十年間、京都に住んだので、夢枕さんが書いた陰陽師の世界に、興味があったことと、安倍晴明のことを調べていたからである。さらに、夢枕さんは、歌舞伎の脚本を書かれている。京都では以前、素人顔見世で、一日南座を借り切って、歌舞伎の真似ごとをやったりしたので、夢枕さんのような形での歌舞伎との関係は、うらやましく素晴らしいと思ったことも、一票を投じた理由である。
東野圭吾
作家の世界は相撲部屋と同じだというのが私の持論である。駆けだしの作家が大きな利益を生み出すことなど、ふつうはありえない。それでも出版社が仕事を依頼するのは、将来に期待するからだ。そしてその資金を稼ぎ出しているのが、所謂ベストセラー作家だ。横綱を頂点とする関取たちの稼ぎで、給金をもらえない幕下たちが相撲を取り続けられるのと全く同じ構図である。私が作家になった当時、多くの横綱級ベストセラー作家がエンターテイメント界を支えていたが、夢枕獏さんも間違いなくその一人だった。『○○殺人事件』というタイトルの新書版ミステリが隆盛を誇っている中、『魔獣狩り』に代表されるサイコダイバー・シリーズは圧倒的な異彩を放っていた。それ以後の作品でも、テーマの多様性、スケールの大きさは他の作家の追随を許さない。夢枕作品はミステリに含まれるか、という疑問には、夢枕作品はミステリを含んでいる、という回答で決着をつけたい。
『沸点桜』北原真理(きたはらまり)
(応募時の北祓丐コを改名)
【受賞の言葉】
選考委員の先生方、予選委員の先生方、私の拙い文を読んで下さって、どうも有り難うございました。受賞の電話を頂いても暫くは茫然自失の体で、未だに、これは夢ではないかと信じられぬ自分がおります。長い長い時間をかけて、カメの如くに右に左にのろのろしながら、やっとスタート地点まで辿り着きました。
皆様、どうぞ宜しくお願い致します。
二人の祖母を忘れたくなくて、私はこの話を書きました。主人公・コウは気性激しい薩摩女の祖母キミを、澪は料理上手で優しい祖母ナヲを、モデルにしています。夫や家族に捨てられ、決して幸福でも裕福でもなかった二人ですが、私には濁りのない愛情を注いでくれました。生きていたら、この身に余る受賞を一番喜んでくれたであろう二人です。
本ができたら、墓参りに行こうと思います。
皆様に感謝を込めて。
選考委員【選評】(50音順)
綾辻行人
授賞が決まった北祓丐コ「沸点桜 ボイルドフラワー」には、他の候補作よりも圧倒的に高い〝熱〟を感じた。
どうにかして自分のイメージを小説的な文章で表現しようと闘っている、そんな作者の創作姿勢から伝わってくる熱。コウとユコという二人の女性キャラクターを描くのに込められた作者の想い=熱。それらの結果として、作品全体が持つに至った迫力=熱。――この種の舞台や人物、世界観で書かれた小説は正直なところ、僕は苦手なのである。にもかかわらず今回、これを最も面白く読めたという事実が、作品の力を示しているとも思う。ただしこの作品、あちこちに不備が目立つのも事実である。特に終盤の駆け足と、それゆえの説明不足や不整合は大いに問題だろう。可能な加筆修正を施したうえでの単行本化が望まれる。
核心部のアイディアがミステリー的に最も面白いのは、雨地草太郎「幻狼亭事件」だった。この作品はしかし、早い時点で選外となった。理由はたくさんあるのだが、最大の難点は「幽霊の実在」という前提的な特殊設定を、充分な説得力をもって描けていないことだと思う。それは物語を生成する文章そのものの問題であり、プロットの問題でもあり、ディテールの問題でもある。
犬塚理人「蒼ざめた馬に乗れ」は、死刑が被害者遺族の手によってのみ執行されうる、という法制度が成立した〝架空の現在〟を舞台とする。面白い設定ではあるのだが、この制度に関する考察や練り込みが、これではいかにも浅すぎはしないか。主軸となる事件の構図が、こういった設定でなくても普通に成り立つようなものでしかない、というのも物足りない。
斎堂琴湖「レンタル探偵と雪の街」は、決して悪くはないのだけれども突出した魅力もない、といった作品。減点法で評価すればこれが残ることになるのかもしれないが、今回の選考会では、「沸点桜」の〝熱〟のほうを買おうという結果になった。
篠田節子
素人の書いた長編を書評家、ましてや一般読者と同じ視点で評価してはならない、とまずは肝に銘じた。かつての素人の一人として、可能性と伸びしろを見極めたい。小さな間違いやミステリの約束事には目をつぶる。
才能を感じたのは「幻狼亭事件」。伝奇、猟奇、オカルトのどす黒い世界を軽やかに仕上げるセンスの良さ。だが些末な謎解きに終始し、魅力的要素が生かせなかった。たとえば父の狂気、狼の木彫り、怪しい宗教。掘り下げてアイデアを練れば軽い中にも凄みが出る。才に見合う大技を駆使した新たな挑戦を期待したい。
「沸点桜」。前半の国語力を疑う文章表現が、後半、目に見えてこなれてくる。書けばもっと上手になる人だ。逃走、潜伏、謎解きに、病気、差別等々の要素が絡み、物語の骨格は力強い。登場する女性二人の性格とその周辺で起きる事件は紋切り型ノワールで大いに不満が残るが、だからこそ共感し安心して感動できる読者も多く、必ずしも欠点とは言い切れないだろう。
「蒼ざめた馬に乗れ」。四編中、唯一のテーマ先行型作品で好感を持った。荒唐無稽な設定を用いてリアリズム小説に仕立てる意欲と度胸を買う。ストーリー展開は穴だらけだがリーダビリティーがある。ラスト、主人公の人格に帰結するどんでん返しが秀逸。ただし「サイコパス」という言葉はこの場面で出さない方が良い。能力は高く、共感性は低く、冷静で軽みのある主人公の性格からして十分、それとわかる。テレビドラマやマンガと異なり、小説においては好ましい性格の主人公を登場させる必要は必ずしもないと私は考える。
「レンタル探偵と雪の街」。謎かけ、捜査、新情報、解決、次なる謎の浮上、という地味だが入念に組み立てられたプロットが良い。しかし犯人の動機に必然性と説得力が乏しい。全体に、警察官の人間関係、男女関係に寄りかかった作りで、作品がミニチュア化しているのが最大の難点。リアルに警察小説にするか、夢を詰め込んで学園小説風警察小説にするか、腐女子警察ものに仕上げるか。方向性を定めるのは作者自身だ。
朱川湊人
今回、選考会に臨むにあたって、私はすべての作品に5点満点の3点をつけました。さすが最終選考に残る作品だけあって、どれもそれなりにリーダビリティーがあり、大きな矛盾もなかったからです。言ってみれば、中の上ですね。
ですが率直に言ってしまうと、それ以上の美点を探すのが難しかったということでもあります。受賞作ナシもありうると思いましたが、ほんの僅差で北祓丐コさんの「沸点桜」に決めることができました。韓国ノワール映画を彷彿とさせる力作ですが、説明不足の部分と駆け込み気味に終わるラストを修正すれば……という前提での判断ですので、上梓されたものが少しでも理想に近づいていることを切に願います。
最後まで争った犬塚理人さんの「蒼ざめた馬に乗れ」は、死刑執行のボタンを被害者遺族が押すシステムがあるという設定は買えます。けれど、その他の部分が説得力と迫力に欠けていたように思います。謎に対する解答がスピーディーに提示されていく快感はありますが、私のような細かい点に拘る人間には首を傾げてしまう部分が散見され、強く推し切れませんでした。
雨地草太郎さんの「幻狼亭事件」は、幽霊が存在することが前提となった作品です。しかし、それを主人公が確認できない点で、やや無理があるのではないでしょうか。他賞に応募したものを改作したそうですが、好評価を得た元々の物語に執着するあまり、十分な飛距離が出せなかった感があります。また、取ってつけたような読者サービスらしき部分が、ストーリーの流れを止めてしまっている点にも気づいてください。
斎堂琴湖さんの「レンタル探偵と雪の街」には、悩まされました。なかなか達者な書き手ですが、細かいところでツッコミたくなる部分が多く、物語に乗り切ることができませんでした。また最後に明かされる真相が、私には素直に納得できなかったのも本当です。周波数の合う読者と出会えれば、熱狂的に支持されるかもしれません。
若竹七海
技術的には申し分ないがグッとこない二作品に、魅力的だがツッコミどころ満載な二作品。どれを推すか決められないまま選考会に臨んだ。
「幻狼亭事件」は父親の狂気に覆われた屋敷という舞台にワクワクしながら読み進んだが、ゴシックロマン的事件と主人公たちのライトな言動がかみ合わず、興ざめした。
「レンタル探偵と雪の街」は文章も物語の緩急のつけ方も優れ、伏線をちりばめ回収する手腕もある。だが大事件のわりに真相が薄く、ミステリーとしての個性は感じられない。また「すべての事件は主人公の男女がモテモテのせいで起きました」という設定がどうにも恥ずかしく、うまい書き手だと思いながらも受賞作としては推せなかった。
「蒼ざめた馬に乗れ」も文章力、構成力は見事。主人公がクールすぎて共感できず緊迫感に乏しい、と思ったら、それこそが伏線だったのには驚いたが、そこに至る事件解決がやや安直。また「被害者遺族が死刑執行ボタンを押す」という設定には「死刑」だけではなく「私刑」問題も絡む。国家が個人に代わって罪人を裁き、刑を執行するという法治国家の大前提が棚上げされ、それについての言及がほぼなし、という点が引っかかった。
「沸点桜」はヘンテコな表現や文章が散見され、整理が悪く、思いつきがぶち込まれていて、安っぽいキャラ設定や強引な展開も見られる。おいおい、と苦笑しながらも、次第にこの作品のもつ熱に惹きつけられ、一気に読んだ。ダークなヒロインと少女の命がけの逃避行、お宝探し、平和な生活から暴力、そしてどんでん返し。今回の中でもっとも印象的な作品だが、いかんせん雑で特にラストが荒っぽい。商品として世に出すレベルに磨けるのか、磨いたら逆にこの作品の魅力がなくなるのではないか。そう思うとこの作品の受賞に、積極的にはなれなかった。好き嫌いの分かれる問題作だと思うが、多くの人に読んでもらい、その是非を判断していただきたい。
ものごころついた日本人でシャーロック・ホームズの名前を聞いたこともない人はいないでしょう。日本版ホームズを意図して生まれた日本最初のシリーズ探偵、三河町の半七親分も敵いません。ホームズが、早熟なら小学上級生でも楽しめるのに対し、半七は高校生以上ぐらいにならないと面白さが分かりにくい。
半七にはエキセントリックな個性がなく、投げ銭によって下手人を仕留めるような見せ場もないので、映像化されることが少ないせいもあって、他の捕物名人に知名度では譲ります。しかし、江戸川乱歩が戸板康二の〈雅楽探偵譚〉を〈半七捕物帳〉と並称して、「戸板さんの文章には、おいしい物を噛みしめるような、なんともいえない味が」あると評したのは、そのまま岡本綺堂の半七にも当てはまるでしょう。
ホームズの魅力については、ことさら述べるまでもありません。そのキャラクターと物語に魅せられた人々が、原作を愛読反読するだけに飽き足らず、ビジュアル化、パロディー化、また関連グッズを製作、収集する情熱に触れるだけでも、その底知れなさが実感されます。
奇しくもホームズ誕生130年、半七誕生100年を同じ年に迎えた今、両探偵の魅力を比較して、改めて原作に親しむにも絶好の機会ではないでしょうか。ホームズの住所ベーカー街221番地Bにちなんで、今回は2018年2月21日まで開催します。
シャーロック・ホームズ〈130年〉半七捕物帳〈100年〉
~ロンドン/大江戸 二大名探偵誕生記念展
いしいひさいち「4コマ」+ひらいたかこ「イラスト」&日本一のホームズグッズコレクター「志垣由美子コレクション」をメインに魅せる
期間:10月24日(火)~2018年2月21日(水)
成人女性にはない、少女特有の未熟さや危うさ、刹那的な美しさは、ミステリーにも格好のテーマとなっている。謎めいた妖しい煌めきを放つ13の物語をご堪能ください――
「オルレアンの少女」江戸川乱歩/「少女」連城三紀彦/「うす紫の午後」仁木悦子/ 「少女と武者人形」山田正紀/「五島・福江行」石沢英太郎/「白い道の少女」有馬頼義/「路地裏のフルコース」芦辺拓/「汽車を招く少女」丘美丈次郎/「老人と看護の娘」木々高太郎/「笛吹けば人が死ぬ」角田喜久雄/「バラの耳飾り」結城昌治/「白菊」夢野久作/六本木心中」笹沢左保
9月5日の予選委員会にて、第21回「日本ミステリー文学大賞新人賞」候補作が決まりました。
予選委員7氏=円堂都司昭、香山二三郎、新保博久、千街晶之、細谷正充、山前譲、吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点、討議のうえ選定(タイトル50音順)。
応募総数183編から、1次予選を通過した22作品は下記のとおりです(応募到着順)。
選考委員会は綾辻行人、篠田節子、朱川湊人、若竹七海の4氏により、10月20日におこなわれます。
選考結果及び選評は「小説宝石」12月号誌上及び当ホームページにて告知します。
【予選委員からの候補作選考コメント】
円堂都司昭
変わった職業の主人公、この現実にはない制度が導入された近未来、超常現象の発生など、設定にポイントのある作品を書く場合、起きる出来事が物語にみあったものになっているか、よく考えてほしい。設定と出来事のつじつまがあわない。設定が途中で置き去りになり普通の話に流れてしまう。そういった残念な例が、ちらほらみられた。
また、恋愛、社会派的テーマ、アクション、トリックなど、一つの作品に多くの要素を入れようとする時は、全体の整合性やバランスに気を配る必要がある。部分部分でみれば臨場感があるのに、通して読むと納得できない。そのように、多くを語ろうとしすぎてなにを語りたいのか見失った作品も目立った。
設定を工夫する、盛りだくさんな内容にするといった意欲は好ましいが、それが空回りしてはもったいない。書き上げた原稿は読み直し、修正すべき点を自分で見つけてほしい。成長するためには欠かせないことだ。
香山二三郎
しつこいようだけど、次の二点にはくれぐれも気を付けて。応募作品は新作で。既応募作品での再応募は本賞では控えましょう。原稿の印字は字間を詰めて。読みにくいと端から印象が悪くなります。
最終候補以外で印象に残ったのは、現世と冥界の間にある幽界にさまよいこんだ老若男女が忌まわしい犯罪に直面する加夜真祁の“おじさんファンタジー”『いきつもどりつ』、新種の多肉植物をめぐる愛憎劇の顛末を描いた秋瀬颯子『ハルビナN』、山下聡のヒネリの効いた二段構えの誘拐サスペンス『眠り姫の金貨』、北海道の高速路線バスがアブない乗客たちに代わる代わる乗っ取られてしまう滝沢一哉『8』等。
今回は女性陣の頑張りが目につきました。ミステリー新人賞の応募者の多くは男性だけど、2017年は受賞作なしが続き、いささか停滞気味。今後も女性ならではの作風で現状を打破する作品の登場を期待します。
新保博久
私事になるが、今年の予選通過作は、死期まぢかい病人に付き添いながら読んだ。何を読んでも鬱々とした気分でいたことは否めない。だが全通過作に同じに接したのだから、不公平にはなるまい。全体のレベルは例年に劣らないとしても、強く推したい一編にはほとんどめぐり逢えなかった。例外的に、次にどう展開するのだろうとワクワク感を覚えたのが「8(エイト)」である。伊坂幸太郎のイミテーションという批判ももっともだが、あっけらかんとした残虐性は伊坂作品にないものだ。ただ、二年前の他賞の落選作という凶状が判明して支持を撤回した。再応募作が絶対に不可というわけではないが、以前の応募状況を問い合わせてもダンマリだったのは、作者も後ろめたいのだろう。その作品での落選歴を秘匿していても、予選委員はたいてい複数の賞を兼任しているから十中八九、露顕すると覚悟しておいてもらいたい。
元気の出る小説だったが、恥じ入れエイトマン。
千街晶之
ある予選委員が絶賛した作品を別の予選委員は否定する……という意見の不一致が相次いでどうなることかと思ったが、結果的には残るべき作品が残った印象だ。個人的には、雨地草太郎氏の『幻狼亭事件』を一番推した。ラストの主人公の心理はどう考えても納得できないのだが、そこは改稿可能。この作品の本領は本格ミステリとしての完成度の高さにある。フーダニット・ホワイダニット・ハウダニットそれぞれの意外性、横溝正史『獄門島』を想起させる「何故そのタイミングで事件を起こしたか」の必然性、最初の一ページで犯人特定の手掛かりを提示しておくフェアプレイ精神、狂気と整合性が両立したロジック。「双子のうち、どうして主人公ではなくもうひとりが誘拐されたか」の解明にも感嘆した。この賞の予選で、こんな惚れ惚れするような本格ミステリを読んだのは初めてかも知れない。最終選考でどう評価されるのか、期待半分、不安半分といったところだ。
細谷正充
今回の二次選考は、予選委員各氏の評価が割れ、かなりの激論が交わされた。しかしこれは、喜ぶべきことである。私たちが求めているのは、それなりに書けているという凡庸な作品ではない。どこかに傷があっても、それを上回る魅力を持った作品なのだ。
もちろん全体の完成度が高い方がいいが、それだけで最終選考の作品を決めるわけではない。だから、この賞に応募する人は、自分の物語の魅力は何なのか、真剣に考えてもらいたいのである。
その一方で、他の新人賞に投稿して落ちた作品を、そのまま送ってくる“使い回し原稿”問題も、クローズアップされた。二重投稿ではないので応募規約に違反しているわけではないが、今回、同じ内容で四度目の投稿という作品があり、さすがに問題視せざるを得なかった。自分の作品が可愛いのは分かるが、プロの作家になりたいのだったら、見切る勇気も必要だろう。
山前 譲
「Mystery」には神秘とか不思議といった意味があるので、そうした要素を織り込んでももちろんいいだろう。しかし、肝心のところで読者には予想できない神秘的な力を使われてしまうと興ざめである。主人公が危機一髪のところを不思議なパワーで助けられたり、物語の重要なキーワードが神秘的な世界に迷い込んで分かってみたり……。そうなると、作中でどんなことが起こっても驚きはしない。現実社会と違った論理で展開していく作品であるならば、そのことをなるべく早く読者に提示したほうがいいのではないだろうか。
ただ、総じて今回はレベルが高かったように思う。とりわけ文章にそれぞれ個性があり、最初から読む意欲の削がれる作品は少なかった。それだけにいっそう、ミステリーとしての趣向やキャラクター設定の細かい齟齬が差となっていく。ましてや、他賞の予選で読んだことのある作品に出会ったりすると、積極的には推せないのだった。
吉田伸子
今回は最終候補4名のうち2名が女性となりました。同性として嬉しいです。二重投稿はないものの、いわゆる“使い回し”(過去に別の賞に応募した作品)が目立ちました。過去に応募した時のタイトルと変えられていることから、故意だと推察しますが、これは止めていただきたい。過去の作品に拘る気持ちも分からなくはないですが、フェアではないと思います。それよりも、新しい作品へ気持ちを向けたほうがいい。新人賞が求めているのは「新しい芽」である、ということを心に留めておいて欲しいです。
「すべては乱歩から始まった」~豊島区ミステリーの系譜~
江戸川乱歩の登場から90年あまり。「遺産(レガシー)」として長く記憶にとどめたいミステリーを発掘紹介する新シリーズ。今回は戦前から「ロマンチック・リアリズム」を提唱した大下宇陀児『自殺を売った男』と、トリックに執着した楠田匡介『模型人形殺人事件』の2長編をカップリング。二人による合作短編「執念」を併載した。
サスペンスから冒険小説、警察もの、歴史小説など幅広いオールラウンド・プレイヤーは、時にはカメラマンでもある。ファインダーを通した作家のまなざしを追体験しよう。
期間:2017年3月22日(水)~8月19日(土)
演劇記者7名の選考委員によりノミネートされた候補作は、下記6作品(候補者50音順)。
1月27日、全選考委員出席のもと選考会で討議を重ねた結果、蓬莱竜太さん「母と惑星について、および自転する女たちの記録」の受賞が決まりました。
贈呈式は3月23日(木)帝国ホテルにて、日本ミステリー文学大賞・同新人賞と併せ(「光文三賞」)おこなわれます。
佐々木 譲(ささき じょう)
【受賞の言葉】
二十九歳のときにオール讀物新人賞を受賞して小説を書くようになり、そこから数えれば三十七年、会社勤めを辞めて専業の作家となってからは三十二年、書き続けてきたことになります。とはいえ青春小説から、サスペンス、冒険、歴史、警察小説へと、関心の赴くままにジャンルを移し、ときには後戻りもしながら書いてきたので、経験年数は単純に累積していくはずもありません。自分はいつもそのフィールドの新人、新参者だ、という意識がありました。正直なところ、そのどれかでは中堅ぐらいまで来たか、と思えるようになったのは、ほんのこの数年のことに過ぎません。なのでこのような栄えある賞をいただいていいのか、通知を受けたときには大いに戸惑い、うろたえました。でも、次に脳裏に浮かんだのは、これまでわたしを担当してくれた多くの編集者さんたちの顔です。みなさんが喜んでくれるだろう。多少は称えてくれるかもしれない。少なくとも、おいしいお酒を飲む理由のひとつとしてくれるのではないか。
謹んで栄誉を頂戴する次第です。
選考委員【講評】(50音順)
大沢在昌
佐々木さんが『ベルリン飛行指令』(一九八八)『エトロフ発緊急電』(一九八九)をたてつづけにだされたとき、同じ一九七九年デビューの身として、「うかうかしてはいられない」という焦りを強く感じたことを、私はついこの前のことのように覚えている。その後、歴史小説を経て警察小説を書かれるようになったが、一昨年受賞の船戸与一氏と同じく、戦友でありライバルだと、常に意識していた。
その佐々木さんに本賞をさしあげるのは面映ゆいが、実績を考えるなら当然の受賞である。
譲さん、おめでとうございます。
権田萬治
佐々木譲氏は、多くの賞を受賞した『ベルリン飛行指令』、『エトロフ発緊急電』、『ストックホルムの密使』の第二次世界大戦秘話三部作など、幅広い国際的視野と的確な歴史認識に立つ優れた冒険小説の書き手という印象が強烈だが、実は多彩な才能の持ち主で、デビュー以来サスペンスものやホラー、バイク小説や重厚な歴史・時代小説も書いて来た。いずれも水準が高い。
二〇〇四年から書き始めた出身地の地元、北海道警を舞台にした『うたう警官』など一連の警察小説は現実感豊かな設定と生き生きした人物造形で人気を集め、『廃墟に乞う』で直木賞を受賞した。
このような業績は豊かな才能と新しいジャンルに常に挑戦する真摯な情熱の結晶であり、まさに大賞にふさわしい人である。
これからも大いに活躍して読者を楽しませて頂きたい。
西村京太郎
現代に生まれた作家は、現代を書くべき責任があると思っている。その現代は、戦争と平和の時代だった。戦後に生まれた作家でも、戦争の影響を受けている社会に生きている以上、調べてでも、戦争を書いて欲しい。
一九五〇(昭和二十五)年に生まれた佐々木譲さんも、戦後生まれだが、戦争を書いている。しかも『ベルリン飛行指令』『エトロフ発緊急電』『ストックホルムの密使』の三部作によって、あの戦争のひとつの断面を見事に書き切っている。これによって、佐々木さんは、現代の作家としての責任を果たしたといえるだろう。また、この仕事によって、佐々木さん自身も大きくなったといえるのではないか。その証拠が、二〇一〇年に『廃墟に乞う』で、直木賞を受賞されたことだと思う。今回のミステリー文学大賞は、当然の受賞だが、私は、初めて佐々木さんにお会いできるのを楽しみにしている。
東野圭吾
八〇年代の後半、出版界に、それまでノベルズ版で出されるのがふつうだったミステリ小説をハードカバーで出版しよう、という動きが出てきた。単価が上がるわけだから、当然読者の目は厳しくなる。作品の出来が値段に見合ってないと思われたら、この動きにはブレーキがかかるはずだった。そうならなかったのは、多くの作家たちが張り切って良作を書いたからだ。佐々木譲さんの『ベルリン飛行指令』もその一つで、続く『エトロフ発緊急電』と共に、小説の新しい扉を開いたと思う。その後、冒険小説だけでなく、サスペンス小説、時代小説、警察小説と挑戦を続け、エンターテインメントの地位を押し上げた功績は大きい。私が日本推理作家協会の理事長時代、協会賞の選考委員をお願いしたのが昨日のことのようだ。こういう形でお礼ができて、とても嬉しい。
森村誠一
第二十回日本ミステリー文学大賞に最も相応しい人が受賞された。受賞者は佐々木譲氏である。
佐々木さんとは、面白い御縁があり、あるパーティでVIPのみが坐るテーブルでなんとなく一緒になってしまった。そのとき佐々木さんと私に挟まれた紳士がなんと紀伊國屋松原治会長であった。それまで手持無沙汰であった松原会長が佐々木氏を見て、「あなたは世界で売れますね。特に私の店で……」と言われたように私の耳に聞こえた。
正確な刊行時は憶えていないが、『新宿のありふれた夜』を連想した。戦争から世界をまたぐ雄大な冒険小説を仕立て上げ、日本文芸の日本語の壁を崩し、世界の小説とした。
そして「本の力」となった。
『白骨の首』(しらほねのこうべ)戸南浩平(となみ こうへい)
【受賞の言葉】
七回もの挑戦。長かった〜。初投稿で最終選考に残ったものの落選。でも、「まずは挨拶がわりだからね」と余裕でした。が、二度目も撃沈。「こんなはずでは……」と不安がよぎる。三度目の正直。正直者は馬鹿を見る。四度目、「仏の顔も三度までだぞ! 今度落としやがったら」と形相は鬼と化す。五度目。「お願いだから銀賞、佳作、審査員特別賞でも、残念賞だっていいからなんか下さい」という心境に至る。六度目。六根清浄! そうか、ほしいほしいと我欲に囚われていたから駄目なんだ。無念無想、明鏡止水の境地で心静かに待つべしと悟ったが、いくら待てども朗報は来ず。
七度目。七難八苦、七転八倒、七転び八起き。「苦しみのたうって転んだままじゃん。もう起き上がれないよ〜」と泣き暮れていると、電話のベル。「大当たり〜!」幸せの鐘でした。涙に色はないけど、悲しみの涙が喜びの涙へと変わりました。今度の七は、ラッキーセブンだったようです。ありがとうございました。
選考委員【選評】(50音順)
あさのあつこ
今回は『白骨の首』を推そうと決めて、選考会に臨んだ。おもしろかった。明治の世を舞台に、非業の死を遂げた友の復讐のために、十七年間を費やした武士、下忍の草として生きてきた男、斬り落とされた異人の首、そして、五年前に上海で起こった英国人殺害事件。最後に白日の下にさらされる真実の姿も含めて、実に盛りだくさん、実にスリリング、実にせつない作品だった。人と人との絡み方、関係性が秀逸で、読み終えて登場人物一人一人が濃く心に残る。
ただ、ミステリーとしては弱い。腐乱死体のあたりから、「うん? もしかしたら」と思わされてしまうし、謎解きも安易すぎる。主人公奥井は真相に迫るために、あちこち歩き情報を集めてはいたが、その実、その情報を玄蔵たちに伝えるだけで、自ら推理した部分はほとんどない。なのに、突然、とうとうと自説を披露したりする。どうにもちぐはぐだった。もっと、探偵として奥井を動かすべきだろう。情報を理論的に処理し、推理を重ねていく。その能力を与えてもよかったのではないだろうか。友の仇を討つ剣士の造形に固執し過ぎて、奥井という人物を広く捉えられなかったと感じた。阿片の製法を延々と述べるあたりも一考してほしい。退屈過ぎる。ただ、そういう諸々の瑕疵を抱えながらも、魅力的な一作だったのは確かだ。
『ハンドラー」については、政治経済論がさかんに語られるけれど、それを外してみると実に貧弱な骨格しか残らない。綾への山瀬の愛も、人物像も希薄でストーリーのために人が動いている感は否めなかった。『泳いだ人』は実在した人物を書くための覚悟が足らなかったのではないか。なぜ、架空の人物を主人公としなかったのか。なぜ、吉田満でなければならなかったのか。作者は本気で自問したのだろうか。手慣れた書き手だけに、次は書くことの覚悟をもって作品に挑んでほしい。『さいはての楽園』は、よくできた物語であるが肝心の犯人像が絞り切れていない。このとき、この国でテロリストになるとはどういうことなのか、作者は思索しなければならないだろう。人と時代への洞察を欠かしてはエンターテインメントはなりたたない。
綾辻行人
戸南浩平氏の作品が〈日本ミステリー文学大賞新人賞〉の最終候補になるのは、これで七度目だという。そのうちの四作を、僕は選考委員として読んでいるのだが、毎回趣向を変えながら、作を重ねるごとに技術を磨いてこられた、という印象がある。
今回の『白骨の首』は、明治初期という特異な時代だからこそ成立する「探偵小説」に挑んだ点で、これまでにない意欲を感じさせる作品。復讐の相手を追いつづける元侍の主人公と元忍びの探偵コンビ、という設定も目新しいし、ミステリーとしての構図・企みも筋が良い。惜しむらくは、「推理」の味が薄いこと。せっかく面白い探偵小説の舞台を整えたのだから、せめてもうひと味、たとえばスパイスの効いた「論理のアクロバット」があれば良いのになあと。本格ミステリ者としてはついそう思ってしまうわけだけれど、各選考委員のポジティブな評価を聞くうち、結果として僕もこの作品への授賞に賛成したい気持ちになった。
越尾圭『さいはての楽園』。簡潔な筆致でスピーディに物語を読ませていく力はなかなかのもので、僕は最後までそれに乗せられて楽しく読了した。――のだが、冷静に物語を振り返ると、随所に弱点が見えてくるのも確かである。次作に期待したい。
吉原啓二『ハンドラー』。広げられた大風呂敷はたいそう興味深くて、その点は評価したいのだが、人物造形や物語の進め方にちょっと無理がありすぎるのではないか。複雑なプロットを充分に制御しきれず、作者自身が振りまわされているようにも見える。惜しい作品だとは思う。
松野美加子『泳いだ人』。作者がなぜ、吉田満『戦艦大和ノ最期』をネタ本にして、このような実名小説を書かねばならなかったのか、大いに疑問を感じる。ミステリーとしての創意にも見るべきものがないので、厳しい評価にならざるをえなかった。
笠井 潔
越尾圭『さいはての楽園』と吉原啓二『ハンドラー』は、小説としての感触が似ている。非現実的なほど大掛かりな背景設定や犯人の動機が共通するし、謎解きの過程で主人公が海外に行くところも同じだ。この辺の感じが今風なのだろうか。
エボラ熱をめぐるサスペンス効果で読者を引っぱる力のある『さいはての楽園』だが、自分捜し、居場所捜しが嵩じてナイジェリアの反政府ゲリラ組織に身を投じる犯人役は、人物造形に計算違いがある。また現地で少年兵に仕立てるため、子供四人を誘拐してアフリカに「密輸」するという設定も、少なからず説得力に欠ける。
同じように気になる点が『ハンドラー』にも見られた。アカデミズムの世界から追われた新自由主義批判者の息子が、窮死した父の復讐のため、その徹底化によって新自由主義世界を自己崩壊に追いこもうとする。復讐者は一九九七年のアジア通貨危機を仕組み、IMFによるアジア諸国のネオリベ改革を促進した。中国の経済大国化に協力し、AIIB構想を裏から主導してきた。ソ連崩壊以来、天安門事件以来の世界的な新自由主義化とグローバル化は、息子による復讐の結果だったという話は、気宇壮大に過ぎて空転気味といわざるをえない。
非現実的な背景や動機が特徴的な越尾作品、吉原作品と比較して、戸南浩平『白骨の首』には地味ながら安定した力がある。山田風太郎の開化探偵小説の設定に、浅田次郎『石榴坂の仇討』の主人公を重ねて構想されたような小説だが、もろもろの要素を作者は過不足なく自分のものにしている。友人の仇討ちという設定は再考すべきだろうが、完成度は他の候補作を大きく上回る。選考会では本作を推そうと考えていたが、他の選考委員も同じような意見で、大きな対立はなく戸南作品への授賞が決まった。
複数の実名モデルが登場する松野美加子『泳いだ人』は、作品の出来不出来以前の問題として、モデル人物の人格権をめぐる配慮が不充分であるため、授賞の対象とするのは難しいと判断した。
朱川湊人
今年も力作ぞろいの最終選考となりましたが、四作に共通して感じたのは、登場人物の魅力の乏しさです。ミステリーですから謎解きが中心になるのは当然ですが、どの候補作も、その展開と解決に力を注ぎすぎて、共感や愛着を覚える部分――言ってみれば“色気”というか“潤い”とでもいうべきものが、絶対的に不足していると感じました。魅力的で色気のある登場人物が、作品世界を豊かにすることを、忘れないでください(この場合の色気は、エロという意味ではありませんので、誤解なきよう)。
そういう意味で、もっとも作品に潤いがあると感じたのは、戸南浩平さんの『白骨の首』でした。明治の世に友の仇を探し求める隻脚の元侍という設定も秀逸でしたが、時代背景もよく書き込まれており、もっとも楽しく読むことができました。受賞、おめでとうございます。
最後まで受賞を争った越尾圭さんの『さいはての楽園』。達者な作品であるとは思いますが、ダブル主人公の効果が十分に出ておらず、また犯人の造形も中途半端な印象です。主人公の一人がエボラウィルスらしきものを注射されるのですが、発症するか否かだけではサスペンスを維持できないでしょう。また他の登場人物が、都合よく動きすぎている感が強いです。
同じことが吉原啓二さんの『ハンドラー』にも言えます。主人公が一週間余りで事件の真相にたどり着けたのは、情報提供者たちの素晴らしい記憶力と、サービス過剰なくらいに口が軽いことが大きな利点であったと思います。また主人公が軽々しく拳を使う点や、やたらとマウンティング好きな性格であることにはウンザリしました。こういう人がカッコいいとは、私には思えません。
松野美加子さんの『泳いだ人』は実在の人物を大胆に使った作品ですが、その許容範囲を超えてしまっているのは残念でした。思い入れの強さは伝わってきますが、全体的に厳しい作品です。重要な二つの事実を主人公が隠し続けていた点も、アンフェアです。
1996年、ミステリー界は活況を呈していた。本格系の新人が次々と登場し、女性作家が台頭し、ホラータッチのものなどヴァラエティに富んだ作品が読者層を広げた。
そこに訃報が相次いだ。2月にハードボイルドの先駆者である大藪春彦が、6月に刑事ものや新聞記者もので一世を風靡した島田一男が、そして9月に華やかな女性探偵とトリックで魅了した山村美紗が……没後20年、あらためてその業績を振り返る。
期間:2016年11月15日(火)~2017年2月18日(土)
9月5日の予選委員会にて、第20回「日本ミステリー文学大賞新人賞」候補作が決まりました。
予選委員7氏=円堂都司昭、香山二三郎、新保博久、千街晶之、細谷正充、山前譲、吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点、討議のうえ選定(タイトル50音順)。
応募総数194編から、1次予選を通過した24作品は下記のとおりです(応募到着順)。
選考委員会はあさのあつこ、綾辻行人、笠井潔、朱川湊人の4氏により、10月25日におこなわれます。
選考結果及び選評は「小説宝石」12月号誌上及び当ホームページにて告知します。
【予選委員からの候補作選考コメント】
円堂都司昭
扱っているテーマ、時代など、いずれも傾向の違う四作を最終候補に選べたことに満足している。そのほかに魅力を感じた作品として『天誅自殺』、『九音の鬼』、『水爆の残響』を上げておく。
最近の傾向として、腐敗した警察上層部や政治家が様々な悪事をもみ消してしまう設定の応募作が多い。過去の作品を超える迫真性や、これまでにない展開などがあればいいが、よくある話をなぞっただけに終わっているものが大半だ。手垢にまみれた筋書きを拙い筆力で繰り返すだけでは、魅力的な作品にはならない。
また、自分の好きな小説を意識すること、既存の有名作を題材にすることは、必ずしも悪いとはいえない。だが、それらと冷静に、上手に距離をとることが大切である。
選考する側は、新人作家にオリジナリティや新鮮さを求めたいのだ。応募者には、過去にとらわれない冒険心を持ってほしい。
香山二三郎
選考を終えた直後の感想はというと、やはり次の二点に尽きる。原稿の印字は字間を詰めること。字間を空けた原稿は読みにくい。既応募作品での再応募はなるべく控える。どうしてもという場合は大幅な手直しが必須。幸い、度々の注意が功を奏して安易な使い回しは減ったようだが、くれぐれも気を付けて。
最終候補以外で筆者の印象に残ったのは、環境汚染が進んだ近未来の千葉エリアを舞台に特別な能力を秘めた若者たちが覇権を争う出雲文一郎『風の子供たち』、猟奇犯罪を追うオーソドックスな警察ものと思いきや驚愕の恋愛劇が待ち受けている山田武博『同じくらい罪深い』、品川桜署の兄妹刑事の捜査劇からド派手な戦争アクションへと一転する広瀬真冬『クロスファイアー』等。
今回は個性的な作品が揃ったようで全体的に好印象だったが、そのせいか票が割れて、最後は接戦になった。選外作品でも評価する人はいます。ぜひ再挑戦してください。
新保博久
今年は抜きん出たものに乏しく、可もなく不可もないような中間層が厚かった。1次予選のほうが激戦だったくらいで、年によっては通過もありえた「真夏の嘘」は、1000万人に1人と書かれている超能力者が狭い人間関係に複数いるのが、「異議あり」は主人公の自己犠牲の拠りどころに共感し得ないのが弱点に映り、最初のハードルでつまづいてしまった。力量はある書き手だと思う。過去2回、1次予選を通過した或るかたのは面白さでは前2作をしのいだが、これでは小説というよりギャグ漫画の原作でしかない。
予選通過作では「九音の鬼」がたいへん惜しかった。メンクイの語り手が大女につき纏われて辟易し、罵詈雑言ばかり連ねているのに、いつしか彼女に惹かれている心境の変化を読者に得心させるのは大した小説技巧である。悪態を半分くらいに削れば端正な作品になっただろう。 中盤のどんでん返しの鮮やかさに比べ、真相が凡庸で推しきれなかった。
千街晶之
たしか数年前にも似たようなことを書いた記憶があるのだが、枚数の上限六百枚ぎりぎりまで書く必要はない。今回は最終候補に残った作品にすら、あと百枚は削れそうなものがあった。あなたが書いた六百枚は本当に、千数百円という安からぬ金額を出して買ってくれる読者をうんざりさせずに済むものなのか、応募の前にもう一度冷静に考えていただきたい。
それと、既存の作家・作品をあまりに意識させる原稿は、よほどの出来でなければ不利だということも記しておきたい。例えば今回の落選作に、皆川博子『開かせていただき光栄です』をどうしても想起させてしまう設定の原稿があったが、皆川博子に比肩する作品を書けというのは流石に酷だとしても、せめて足元に届いてみせるくらいの気概は見せてほしい。すべての創作は模倣から始まるものだとしても、エピゴーネンの域から脱することができなければ一流にはなれない。
細谷正充
予備選考をしていると、人物の言動がおかしい作品を、よく見かけます。たとえば殺人事件が起きたとしましょう。普通の人は、事件の謎を解こうとか思いません。ぶっそうな事には、極力、かかわらないようにします。もちろん、それでは物語になりませんから、事件にかかわる理由を作るわけですが、それは一般常識に照らし合わせて納得できるものですか。このあたりのことを、非常に甘く考えている作品は、意外なほど多いです。
また、事件の調査をしていて、知らない名前や単語に遭遇したら、まず何をしますか。現在なら、スマホやパソコンでネット検索をする事でしょう。このような描写のない作品も、実に多いです(そういう事が必要ない展開なら問題はありませんが)。料理と一緒で小説も、ひと手間かけることで、味が引き立ちます。プロットやトリック以前の部分で、作品の評価を下げないよう、自分の書いている物語を常に検証する癖をつけてもらいたいものです。
山前 譲
新鮮なミステリーを読みたい。応募作品を読みはじめるときには、いつもそう思っている。だが、なかなかその期待に応えてくれる作品には巡り合わない。このところ変わった職業の名探偵がいろいろ登場しているが、まだまだ見逃されている分野はあるのではないか。業界ものは飽きられてしまったかもしれないけれど、社会の変化とともに育まれている未知の世界はあるはずだ。そこを深く探れば、新しい味わいが出るのでは?
といって、パラレルワールド的な世界に走ってしまうのはどうだろうか。謎解きのベースとなる、我々の社会とは違った論理をきっちり説明するのは、なかなか難しい。過去を舞台にするのも有力な手法だが、現代からの視線が織り込まれているのがいつも気になる。しかし、難しいからといってチャレンジしなければ、新人賞への道は閉ざされてしまう。誰もが気付かなかった新しい道を拓く作品を、いつも待ち望んでいる。
吉田伸子
今回の二次選考会で話題に出たのが、警察と政治家の〝闇〟は、もう要らない、ということでした。警察(と刑事)と政治家の腐敗というのは、手垢がつきすぎてしまったテーマだということです。それでも、どうしてもそこを描きたいというのであれば、先行作品を超えるようなものでなければならないと思います。テーマを考える時に、そのことを頭のどこかに置いていただければ、と思います。あと、登場人物の名前が紛らわしいーー苗字に「山」がつく人物が複数登場する、等々ーーということがありました。こちらは、ちょっと気をつけるだけで直すことができます。小さなことですが、大事なことですので、そちらにも留意いただければと思います。
今回、二次に残った作品に女性の方の作品が例年よりも多かったことは、同性として嬉しく思いました。
「すべては乱歩から始まった」~豊島区ミステリーの系譜~
今回のテーマはアリバイトリックの必須アイテム「電話」。固定電話からスマホへとめまぐるしい進化を遂げつつある機器をどう料理するか、ぜひご一読ください。ラインアップは──
口絵(江戸川乱歩と電話機)/阿刀田髙「幸福通信」/鮎川哲也「笹島局九九〇九番」/泡坂妻夫「ダイヤル7」/高橋克彦「電話」/島田荘司「糸ノコとジグザグ」/岡嶋二人「電話だけが知っている」/清水義範「識者の意見」/山村美紗「偽装の回路」/吉行淳之介「電話」/久生十蘭「猪鹿蝶」/笠井潔「留守番電話」/中井紀夫「十一台の携帯電話」/折原一「偶然」
昭和が終わったころ、北村薫は殺人など重大犯罪なしに本格謎解きを描くというコロンブスの卵を産んだ。その手法を多くの新人が後継して〈日常の謎〉派が形成されたが、当人はなお新たな領域に挑戦しつづけている。
期間:2016年3月15日(火)~8月20日(土)
学芸記者7名の選考委員によりノミネートされた候補作は、下記5作品(候補者50音順)。
1月25日、全選考委員出席のもと選考会で討議を重ねた結果、長田育恵さん「蜜柑とユウウツ ―茨木のり子異聞―」の受賞が決まりました。
贈呈式は3月16日(水)帝国ホテルにて、日本ミステリー文学大賞・同新人賞と併せ(「光文三賞」)おこなわれます。
2015年11月25日、審査委員=北川達夫・沼野充義・肥田美代子・古谷俊勝・駒井稔
応募総数832
【小中学生部門】
◆最優秀賞
黒田ひかる(小杉南中学校3年)「気持ちを大切に」(車輪の下で)
◆優秀賞
藤本梨那(高田中学校2年)「変われる勇気」(クリスマス・キャロル)
◆特別賞
磨家理紗子(神戸大学附属中等教育学校3年)「『車輪の下で』を読んで」
◆奨励賞
江草弘樹(岡山中央中学校3年)「いつか僕も」(車輪の下で)
【高校生部門】
◆最優秀部門
節政英雄(東京学芸大学附属国際中等教育学校2年)「『老人と海』を読んで」
◆優秀賞
大倉豪留(同上2年)「「強さ」と「弱さ」」(夜間飛行)
◆特別賞
吉田杏子(同上2年)「『スペードのクイーン/ベールキン物語』を読んで」
【大学生・一般部門】
◆最優秀賞
新屋和花(慶應大学1年)「ゼロと新世界」(すばらしい新世界)
◆優秀賞
山口晃人「議論の必要性」(自由論)
◆特別賞
井上香里「闇の中で潰える光」(闇の奥)
◆奨励賞
小林秀祐「『おかしな人間の夢』が教えてくれたこと」(白夜/おかしな人間の夢)
◆奨励賞
高原貞夫「人間の闇の奥へ」(闇の奥)
北村 薫(きたむら かおる)
【受賞の言葉】
小学生の頃、図書館にあったルパンシリーズ『8・1・3の謎』を読んだ。犯人の正体を明かされたところで、文字通り仰天した。あれを意外と思えるくらい純真だった。
高学年でクイーン、カーを知り、中学生になると、鮎川哲也先生の本に進む。読売新聞の夕刊に《推理小説界に足を踏み入れてから、そろそろ二十年に及ぼうとしている》と中島河太郎先生が語り出す「推理小説と私」が連載され始めると、嬉々として切り抜いては紙に貼り、一冊の本にまとめた。半世紀以上前のことになる。ここに正確に引用できるのは、今も、それを持っているからだ。
鮎川先生、中島先生、さらに数多くの星々の名に連なる、この賞をいただけることを、昭和三十年代のわたしに告げたら、『8・1・3の謎』を読んだ時よりも驚くだろう。
長い年月、《ミステリー》を変わらず愛し続けてきたことに対し、身にあまるご褒美をいただけた――という思いでいっぱいである。
選考委員【講評】(50音順)
大沢在昌
北村薫さんのお仕事を拝見していると、今はあまり使われなくなった「教養」という言葉がいつも頭に浮かぶ。
わかりやすい言葉と用例で、現代の読者を古典文学へと導く評論活動は、北村さんにしかなしえないもので、「ああ、この国の出版界に北村さんがいてくださってよかった」と思わずにはいられない。
と同時に、北村さんの出現なくして、日本のミステリーは「日常の謎」というジャンルを得られなかった。今このジャンルは豊穣で、続々と後継者が生まれている。
本賞をさしあげるのが遅きに失したのではと恐れていたが、受賞を快諾してくださり、ほっとした。
おめでとうございます。
権田萬治
北村薫氏は、日常の生活に潜む謎をユニークな名探偵とワトソン役がコンビを組んで見事に解決する新しいミステリーの旗手として知られている。
日常の謎を扱うものには、英米のコージー・ミステリーがあるが、北村氏の作品は、落語家の春桜亭円紫が日常生活に潜むさまざまな謎を見事に解明するデビュー作の連作短編集『空飛ぶ馬』で明らかなように、探偵役一つ取っても日本独特のものである。
翌年同じコンビが活躍する『夜の蝉』で推理作家協会賞を受賞以後も、次々と個性的で魅力的な名探偵を登場させ、人気を集めているが、『スキップ』をはじめとするSF的な作品にも非凡な才能を発揮している。特に注目されるのはミステリーを始めとする豊かな文学知識である。その一端は、創作だけでなくアンソロジーの編集にも生かされているが、謎解きを重視する氏の確固たるミステリー観がうかがえる。まさに大賞にふさわしい作家である。
西村京太郎
今回は諸事情により、選考会を欠席することとなりました。選考については委員のみなさまに一任いたしましたが、北村薫さんが受賞されることには、まったく異存がありません。本当におめでとうございました。
東野圭吾
私がデビューした当時、ミステリといえば殺人を扱うものと相場が決まっていた。実際、多くの作品に、「○○殺人事件」というタイトルが付けられていた。拙著にもいくつかある。そんな常識を覆したのが北村薫さんで、日常の何気ない謎だけで一本のミステリを作れることを証明してみせた。そういうことをした作家がいなかったわけではないが、セールスポイントとして前面に押し出した功績は大きい。北村さんの登場で、ミステリに、「日常の謎」というジャンルが加わったのである。それによって、まだ世に出ていなかった多くの作家志望者が、殺人を扱わなくても、あるいは警察捜査や法医学などに詳しくなくてもミステリは書けるのだ、と勇気づけられたはずだ。事実、このジャンルを手掛ける作家が何人も登場し、現在も活躍している。今回から選考に加わったが、じつは委員を依頼された際、真っ先に私の頭に浮かんだのが北村さんの名前であった。その名が候補者リストに入っていたのだから、迷う余地は全くなかった。
森村誠一
最もミステリーに近い北村薫氏の受賞はまさに待ちかねていたところです。国内だけではなく、海外ミステリーに広く通じており、日常の中からミステリー、意外な謎を見事に解き明かす手腕は抜群である。
本来のミステリーは非日常で、読者は上流階級や奇人であったのが、北村さんに日常へ引っくり返された。
つまり、平凡な人生、ごく普通の人間からかけ離れたミステリーを、エンターテインメントにした功績は大きい。
ある意味では特定の人種に限られていた純文学を庶民に解放したようなものである。
そして庶民が特別の読者を圧倒していく。推理にも、本格、変格、社会派やSF、ファンタジー、ホラー、冒険など賑やかであるが、ミステリーを支える共通の柱は、推理と小説の結婚である。エログロナンセンスのミステリーとお高い小説の仲人が北村さんであり、氏の多彩な作品が文芸というとてつもない大宇宙を日常にしてしまったのである。彼にとってこの度の受賞は、広大なミステリーであると同時に日常なのである。
受賞おめでとうございます。
『星宿る虫』嶺里俊介(みねさと しゅんすけ)
【受賞の言葉】
「あなたの年齢だと、お付き合いするには魅力がないとデスクに判断されました」
返却された原稿を入れた大きな紙袋を手に、自宅まで歩いて帰ったことがある。自宅の亀有まで、実に半日以上の道のりだった。
往来が途絶えた深夜の車道で、ど真ん中を歩きながら、なぜ誰も轢き殺してくれないのかと独りごちた。
創作に果てがあると、いったい誰が決めた。
更に奮闘する日々が続いた。今回の作品では、少なからぬ取材費を投じることになった。
一次予選を通過しても、虹の彼方へ着地できる者は、わずかに一人だけ。
意気自如を装いつつも、冷汗三斗の思いで結果の連絡を待った。手にしたコーヒーは千々に乱れる心を映して波紋を立てた。
辿りついた虹の袂は、どしゃぶりの雨だった。夢見た者たちと、自身の涙雨だ。
賞の運営と選考に関わったすべての方々に、感謝します。
選考委員【選評】(50音順)
あさのあつこ
今回、最終選考に残った四作の内、三作は過不足のない出来映えとわたしには思えた。読ませるし、それなりの安定感もある。場面の展開も、台詞回しも、文章のこなれ方もそれなりのレベルだった。ただ、新人賞の場合、それなりのレベルでは、最終選考に残れても、受賞は難い。
新人が武器とするのは安定度でもこなれ方でもなく、"この新しさ"だ。この書き手にしか生み出せない何かがある。読み手にそう感じさせる力だ。今回、それを感じさせてくれたのは『星宿る虫』のみだった。どう評価すべきか悩みに悩んだ一作でもある。瑕は多い。登場人物の誰もが多弁で説明過多の台詞が横溢し、その割には個々の人物像は希薄だ。都合のよすぎる展開や中途半端な設定、ずさんともとれる表現等々、書き上げればきりがない。
しかし、一瞬、こちらの息が痞えるような場面を内包している。どこにもない何かがあるのだ。発光する虫、生きながら虫に食われる人間、讃美歌。恐怖と快感の叫びが行間から響く。傑作だとも秀作だとも言えない。ただ凡百に埋もれない可能性はある。そこに賭けたいと思った。思わせるだけの力があつた。
逆に『モダン・グラディエーター』と『罪を継ぐ者』は、最後までするすると読み進められた。つまり、読みやすいのだ。この読みやすさが曲者で、読後感というものを大幅に希釈してしまう。ストーリーはぼんやりと頭に残るのだが心には傷一つ残らない。書き手の人間への肉薄が今一つなのだ。人の犯した犯罪ではなく、犯罪を犯した人を捉えなければ、こういう物語は支柱を失う。どれほど蘊蓄を語り、情報を盛っても、作品の魅力にはなりえない。
『捕食者』は、もしかしたらこれが受賞作かと考えつつ選考会に臨んだ作品だった。感覚的で申し訳ないが大化けする気がしたのだ。主人公が沙織でなく霧子であったら、どうなのか。もっと違った世界が立ち現れるのでは。
どこかで借りてきた物語ではなく、自分の内側から自分を食い破って生まれる一作を、ぜひに。
綾辻行人
嶺里俊介『星宿る虫』に最も力を感じた。
かなり専門的な科学情報を動員して書かれたSF作品である。かなりグロテスクかつ残酷なシーンが頻出する、これはホラー作品であるとも云えるだろう。けれども物語の中心にはしっかりと「ミステリー」がある。人類に恐るべき死をもたらす奇病の正体を論理的・科学的に解明していく物語として、充分に面白く読めるのだから。
そしてとにかくこの作品、「銀河鉄道虫」と命名される架空の「虫」が実によく書けている。探偵役に当たる女性法医昆虫学者のエキセントリックな造形にしても、選考会では首を傾げる向きもあったのだが、僕はむしろ大いに楽しく読んだ。序盤の死体解剖シーンをはじめとする人体破壊の描写の凄まじさ、「虫」たちが発光しながら高所をめざす情景の美しさ、若者二人の純愛が行き着く悲劇の壮絶さ等々、他の候補作には見られない、この作品ならではの美点が多くある。広げた大風呂敷ゆえに欠点も目立つ作品ではあるが、ここは加点法で積極的に推したいと考えた。
『星宿る虫』と最後まで争ったのが、吉田直生『捕食者』。「普通のミステリー」としてのプロットは悪くない。ライトな文章でスピーディに読ませるのも良い。だが、結果的にはこの軽さが仇となって、事件が含み持つ凄みを殺いでしまっている。過去に傷を持つ女性刑事が捜査一課へ復帰するまでの奮闘、というのも昨今あまりによく見かける構図で、比べるとやはり『星宿る虫』の破天荒さに軍配を挙げたくなる。
越尾圭『罪を継ぐ者』は、安楽死問題をテーマに据えた社会派・医療ミステリー。手堅くまとまってはいるのだが、これでは物足りない。葉真中顕『ロスト・ケア』の高みをめざしてほしいと思う。
斉木円『モダン・グラディエーター』には全体の構成に難を感じた。三部構成の第一部に枚数を割きすぎていて、なおかつこの部分が最も凡庸で退屈であるというのは問題だろう。事件の核心部に置かれた「人間と犬を闘わせての非合法賭博」にしても、今どきこれではインパクトが弱いなと思えた。
笠井 潔
文章や人物や物語などの諸点で、越尾圭『罪を継ぐ者』と斉木円『モダン・グラディエーター』は授賞作の水準に達している。しかし、いずれも小説技法の基本的な点で無視できない問題を抱えていて、積極的に推すことが躊躇われた。詭計的な「語り」の技法を用いている『罪を継ぐ者』だが、意識して叙述トリック作品に挑戦しているわけではない。これでは読者から、アンフェアなやり方で犯人を隠蔽していると非難されかねない。文章のこなれ具合では候補作中一番の『モダン・グラディエーター』だが、プロローグとして置かれた人間と犬の格闘場面から、ほとんどの読者は事件の真相を察してしまう。あらかじめ解答を知らされた問題が解かれる過程を見ても、読者は興味をそそられないだろう。
吉田直生『補食者』は、あまり文章を書き慣れていない印象だった。犯人の人物造形にも不満は残るとしても、サスペンス小説としてのプロットは水準が高い。挑戦者としての勢いは感じられるのだが、減点法の評価では越尾作品や斉木作品に及ばない。
評価の基準として減点法を採用する場合、嶺里俊介『星宿る虫』の点数は他の候補作に劣るといわざるをえない。間違った言葉遣いが多いし、警察組織や医療関係などでの事実誤認の類も目につく。作中のリアリティの水準が混乱しているのも問題だ。たとえば平凡だがリアルな人物たちの隣に、プラスティック爆弾を仕込んだカチューシャを愛用する女007さながらの空想的キャラクターが放りだされている。しかも、このプラスティック爆弾は導火線で爆発するらしい。全体として乱雑な印象のある作品だが、減点法でなく加点法で評価してみたらどうか。体の内部を虫に食い尽くされた屍体、黄色い血。あるいは、銀河鉄道のように発光しながら闇を宙に登っていく虫たち、不思議な音楽。可もなく不可もない水準作ではなく、未完成でもパワーを感じる作品に期待したいという綾辻委員の加点法評価に説得され、最終的には『星宿る虫』の授賞に賛同した。
朱川湊人
今回より選考委員の末席に加えていただき、気負いつつ候補作四本に取り組みました。さすが最終選考に残るだけあって、このまま本屋に並べられても、おかしくない作品ばかり……というのが第一印象です。五百枚以上もの原稿を、誰かにお尻を叩かれることなく書き上げた気力だけでも、尊敬に値します。
けれど残念ながら、一読して「これは!」という作品はありませんでした。一定の水準に達してはいても、あるものは小さくまとまっていて驚きが薄く、あるものは爆発力があっても、突っ込みどころ満載であったり――結局、絞りきることができないまま、『捕食者』と『星宿る虫』の二つを支持する心づもりで選考会に臨みました。
『捕食者』は滑らかなストーリー運びで、ストレスなく読み進められるのが魅力でした。ですが全体の雰囲気に既視感があり(女刑事ものは、さすがにお腹いっぱいです)、また書き足りない部分も多くあるように感じられました。殺人の動機も弱く、人物造形もありきたりです。もう一つの『星宿る虫』は、疑問や不満点は四作品の中で一番多く、このままでは辛いのは確かですが、同時に多くの美点を持っている作品でもありました。最初に読んだ時はグルゥの無敵ぶりに鼻白み、重要な場面が詳細に描かれていない点に不満を感じていましたが、作品全体に込められた熱量は相当なものです。「減点法ではなく、加点法で考えてみたら」という綾辻氏の意見で、この作品を押す決心がつきました。受賞された嶺里氏は、出版までに全力で加筆修正してください。
『モダン・グラディエーター』は、主人公に親しみを感じることができませんでした。彼の正義は、いったい何に支えられているのでしょう。『罪を継ぐ者』は、手がかりの提示の仕方に若干のアンフェア感を覚えます。また、バーやファミレスで会話するだけのシーンが多すぎるので、もう少し工夫してみてください。
期間:11月17日(火)~2016年2月20日(土)
1945年8月の終戦で探偵小説界は大きく揺れ動いたが、そこに『刺青殺人事件』でまさに彗星の如く登場したのが高木彬光だった。「本格」の驍将として斯界を瞠目させたデビューの頃を、作家交遊録から振り返る。
副題に「ミステリー批評55年」とあるとおり、日本ミステリーの過去・現在・未来を一望する、著者の批評活動集大成である。作家論、作品論、論争に加え、ミステリー文学資料館館長として「資料館ニュース」に掲載した作家対談を収録。
2015年8月「北斗星」を最後に、謎とロマンと郷愁を乗せた寝台列車の歴史に幕が降りた。ブルートレインはまた〈走る密室〉として、数々の傑作ミステリーをも生んだのだった。
感謝と愛惜を込めたラインナップは──
「急行出雲」鮎川哲也/「殺意の接点」森村誠一/「新婚特急の死神」島田一男/「ブルートレイン殺人号」辻真先/「ダブルライン」姉小路祐/「亡霊航路」司凍季/「殺人は食堂車で」西村京太郎/「夜汽車の記憶」内田康夫(エッセイ)
9月3日の予選委員会にて、第19回「日本ミステリー文学大賞新人賞」候補作が決まりました。
予選委員7氏=円堂都司昭、香山二三郎、新保博久、千街晶之、細谷正充、山前譲、吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点、討議のうえ決定。
候補作は下記4作品です(タイトル50音順)。
応募総数172編から、1次予選を通過した22作品は下記の通りです(応募到着順)。
選考委員会はあさのあつこ、綾辻行人、笠井潔、朱川湊人の4氏により、10月22日におこなわれます。
選考結果及び選評は「小説宝石」12月号誌上及び当ホームページにて告知します。
【予選委員からの候補作選考コメント】
円堂都司昭
応募作の複数にみられた悪しき傾向を指摘しておく。
事件を捜査する主人公に対し、質問された関係者たちが、あまりにも簡単に情報をもらしすぎる。そのため、返答を拒絶した相手の心を開かせるために努力する、嘘をつかれて右往左往する、情報の欠けた部分を補うために推理するなどの物語の起伏を欠き、読み手は退屈してしまう。また、事件の真相が関係者から棚ぼた式に与えられると、主人公がかっこよくみえない。情報を明かす手順については、よく考えてもらいたい。
一方、警察官僚など権力者を黒幕とする作品では、どんなことでも黒幕が実行できるとする内容が散見された。しかし、その種の作品は、なんでもありの展開になりがちだ。黒幕の力が及ぶ範囲はどこまでかなど、設定を明確にしておかないと、リアリティに欠ける。
応募者には自分の原稿を冷静に吟味する姿勢を持ってほしい。
香山二三郎
今年は他の文芸賞に落ち再応募したという作品が目立った。個人的には中身優先で判断したが、落選作品を手直しもせず右から左へ再応募なんて話を聞くと、やはり感じ悪い。評価にも影響することは否めない。
筆者の印象に残ったのは、美少女姉妹の悪行の軌跡を活写した藍沢砂糖『白黒姉妹は月の下』、東洲斎写楽の肉筆画の真贋を追究する倉田稼頭鬼『私の写楽』、関ヶ原の戦い直前の茶釜争奪戦を活写した西恭司『五〇〇〇ドゥカードの密使』、ある小学校の教師陣が爆弾魔の罠にかかる大寺屋浩史『真夜中の宝探し』、長野・新潟県境の山村で起きた住民消失事件の謎を追う木山穣二『揚羽の山』、民間軍事会社の暗躍と彼らをめぐる国際謀略の行方を追った辻寛之『PMC』等。
その中には既応募作品もあったが、それが問題になる前に落ちていった。再応募するなとはいわないけれども、その場合はくれぐれも推敲プラス手直しをお忘れなきように。
新保博久
今回は一次予選通過作の出来不出来の差が激しかった。それだけに最終候補は例年に比べて遜色なく、一般読者には受賞作に期待していただきたいところ。
候補絞りも接戦になると、以前、他の賞の応募作として読まれたものの分が悪くなるのは已むを得まい。予選委員の多くは他賞と兼務しているので、当該作品の応募前歴を秘匿されても、まず誰かが気づく。それを自己申告でも秘匿されていると、ますます心証が悪くなる。
そういうことを取りあえず抜きにして、最終に残らなくて惜しかった作品を挙げると、「五〇〇〇ドゥカードの密使」にまず指を屈する。前野忠康というめったに取り上げられない武将を主人公に、実在人物の知名度に寄りかからない時代小説として好感がもてたが、ミステリー的な趣向がもう少し手厚ければ。「私の写楽」も、写楽の肉筆画が贋作の証拠がないだけで真作と判定されるのが安易ながら、捨てがたい魅力があった。
千街晶之
最終候補作の中には、私だけが大絶賛した結果残ったものも、私には面白さがさっぱり理解できなかったものもあるが、ヴァラエティに富んだ作品群を残せたと思っている。
二次選考で落ちた作品では、辻寛之氏の『PMC』を残せなかったのがやや心残りではある。民間軍事会社や国防問題という現代的な題材を扱っているだけに、物語の背景が十年ほど昔ではなく、より現在に近ければと惜しまれる。西恭司氏の『五〇〇〇ドゥカードの密使』は既受賞者の岡田秀文氏の作風とかぶるだけに、もっとミステリ度を高めてほしかった。
今回、他の新人賞の応募作の使い回しが例年より多かったのは残念である。原稿の使い回しが悪いとは言わないけれど、多少なりとも改稿はしていただきたいし、たとえ改稿していても同じ原稿を三回も四回も違う賞に送っている方は、新作を書く気がもうないのかと思われても仕方あるまい。
細谷正充
今年の予選は、いろいろ考えさせられた。たしかに小説は才能の産物であり、内容が面白ければいい。でも、それ以前の問題を抱えた応募作が多かった。大きなものでは、カテゴリー・エラーがある。ミステリーの新人賞なのだから、ミステリー作品を送ってください。他のジャンルの作品では、まず最終選考に残すことはありません。
また、誤字脱字の目立つ作品も多かった。登場人物の名前が、途中で変わっているものまであった。一度でも推敲していれば、防げるミスです。こんなことで作品の評価を下げてしまってはもったいない。
さらに、経歴や梗概に余計なことを書く応募者も、結構います。〝会社の理不尽な仕打ちに耐えかねて退職〟とか、そんな情報はいりません。自分の作品がいかに素晴らしいか、煽るような惹句もいりません。淡々と表記してくれれば充分です。
何が求められているのか。原稿を送る前に、基本的な部分を確認してください。本気のお願いです。
山前 譲
テーマが斬新で、キャラクターも生き生きとしている。あとはミステリーとしての趣向・・・・・・といった作品ならば、文章が荒削りでも先に読みすすめていく意欲が湧く。
だが今回は、多くの応募作において、その段階にいく前に、期待がしぼんでしまった。冒頭から誤字脱字が目立ち、ストーリーに集中できなかったのである。自身の作品世界に引きずり込むためには、推敲が肝心だろう。もっとも、いかにきちんと推敲されていても、以前、他の新人賞で読んだことがある作品は、やはり期待を失ってしまうのだが。
テーマやキャラクターにそそられて一気に読みおえても、さて、ミステリーとしてはどうだろうかと、高く評価するのをためらってしまうときもある。たとえば今回、学習塾の世界を描いた作品では、経営面からのアプローチに興味をそそられた。だが、ミステリー的にはもうひとひねり欲しかった。
テーマやキャラクターが魅力的でも、あくまでもミステリーの賞である。フェアに読者を「あっ」と言わせる作品を期待したい。
吉田伸子
今回は「改稿」について考えさせられた選考会でした。二次に残った作品に、「改稿作」が目だったためです。極論かもしれませんが、自身での改稿は時間の無駄だと思ってください。というのは、自分の作品を自分「だけ」で改稿することには限界があるからです。自分が、ここはどうしてもカットできない、というこだわりのシーンが、第三者の読み手からすれば、ただ冗長なだけのシーンだったりもするのです。それよりも、新作を書くことに力を注いでもらいたと思います。愛着、思い入れのある作品ならば、デビュー後に担当編集者さんとの共同作業で改稿すればいいのです。
別の賞でだめだった作品を、自分一人でいくらこねくり回してみても、ブラッシュアップにはならないのです。それよりも、どんどん新作を書くことこそが肝要であることを、応募者の方には心に留めておいていただきたいと思います。
昭和は遠くなりにけり ── といわれる昨今、江戸川乱歩は昭和40年の没後から50年の今年なお読み継がれ、映画・舞台・アニメに引っ張りだこ。その魅力の源泉を、横溝正史・高木彬光ら同志たちとの交歓を通じて探る。
2015年9月1日(火)~10月3日(土)
*9月14日(月)~22日(火)は「戦後池袋 ── ヤミ市から自由文化都市へ」(立教大学、旧江戸川乱歩邸、東京芸術劇場等会場)プロジェクトの一環として連日開館。期間中、共通パンフレット提示にて入館無料。
【主な展示物】
江戸川乱歩「D坂の殺人事件」草稿/「夢のクルーザー幻影号」表装原稿
横溝正史『八つ墓村』/『悪魔の手毬唄』原稿
松野一夫「別冊宝石42 江戸川乱歩還暦記念号」(昭和29年11月)表紙肖像原画
乱歩~高木彬光書簡他
第1集、第2集とご好評をいただいている『古書ミステリー倶楽部』、お待ちかねの第3集ができました。ラインアップは今回も下記のとおり魅力たっぷり、読み逃しございませんよう……
江戸川乱歩 口絵/宮部みゆき「のっぽのドロレス」/山本一力「閻魔堂の虹」/法月綸太郎「緑の扉は危険」/曾野綾子「長い暗い冬」/井上雅彦「書肆に潜むもの」/長谷川卓也「一銭てんぷら」/五木寛之「悪い夏 悪い旅」「古本名勝負物語」/小沼丹「バルセロナの書盗」「大泥棒だったヴィクトリア女王の伯父」/北村薫「凱旋」/野村胡堂「紅唐紙」/江戸川乱歩「D坂の殺人事件〔草稿版〕」
第18回日本ミステリー文学大賞の船戸与一さんが4月22日、胸腺癌のため亡くなりました、享年71。
開催中の「船戸与一展」は、追悼展として6月27日(土)まで継続いたします。
なお、資料館は4月末からの連休中、4月29日、5月1日、3~6日は通常休館、5月2日(土)を臨時休館とさせていただきます。
ご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。
叛史――それは教科書に書かれているような正史と対極にある概念だ。1979年のデビュー作『非合法員』以来、「船戸叛史」の視点で、体制から疎外された人々の心の奥底を描いてきた。その作家活動の原点をここに振り返る。(撮影:森 清)
学芸記者7名の選考委員によりノミネートされた候補作は、下記6作品(候補者50音順)。
1月27日、全選考委員出席のもと選考会で討議を重ねた結果、桑原裕子さん「痕跡(あとあと)」の受賞が決まりました。
贈呈式は3月18日(水)帝国ホテルにて、日本ミステリー文学大賞・同新人賞と併せ(「光文三賞」)おこなわれます。
「もしや貴方は前に一度『鬼火』の完本を持っているからといってよこされたことはなかったでしょうか」――横溝正史から中井英夫へ送られた手紙の一節である。『獄門島』と『虚無への供物』、日本ミステリー・ベスト1、2を分け合った二人が、このような奇縁にも結ばれていたことを、竹中英太郎の鬼気迫る『鬼火』原画とともに紹介する特別展示第3弾。2月3日より展示替公開。
ほかにも渡辺啓助、山田風太郎、泡坂妻夫ら知られざるミステリー界とのつながりや、三一書房版『久生十蘭全集』に賭けた中井英夫の情熱を書簡、編纂ノートなどから実感されたい。
三大奇書として『虚無への供物』と並称される『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』の原稿・草稿もレプリカながら継続展示中。残り一カ月に迫った中井英夫展、すでにご覧になった方も是非もう一度!
昨年、『虚無への供物』とともに三大奇書と称される『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』の自筆稿一挙展示でご好評をいただいた本展(現在、後2者は精巧な複製原稿を展示)だが、三島由紀夫没後45年の今年は『憂国』の原型となった幻の作品「愛の処刑」原稿ノートを初公開する。中井英夫が三島に託されて保管していたことからも、戦後文学に特異な光芒を残す二人が互いに美意識を認め合い、深い信頼に結ばれていたのが偲ばれよう。三島はまた、塔晶夫『虚無への供物』刊行時にいち早く推薦文を寄せてもいる。
同時に中井英夫は、戦後短歌を革新した名編集者でもあった。これまで展示しきれなかった名伯楽としての顔を、その育てた天馬たち、『乳房喪失』で現代短歌の起点とされる中城ふみ子、続く寺山修司『チェホフ祭』、三島が“現代の定家”とまで絶賛した春日井建の『未青年』の生原稿、書簡を通じて紹介する。『虚無への供物』誕生に至るまでの、中井美学の原風景ともいうべき特別展示の10日間(1月20日~31日)、引き続きお見逃しなく!!
審査員=北川達夫・沼野充義・肥田美代子・古谷俊勝・駒井稔
応募総数=2064
【小中学生部門】
◆最優秀賞
中原立佳『ジーキル博士とハイド氏』大妻中学校1年
◆優秀賞
井上芽依『野性の呼び声』横浜共立学園中学校2年
◆特別賞
窪 舞『車輪の下で』大手前高松中学校1年
◆審査員奨励賞
鳥山 遍『読書について』学習院中等科3年
【高校生部門】
◆最優秀部門
今泉伎琳『変身/掟の前で』東京大学教育学部附属中等教育学校4年(高校1年)
◆優秀賞
谷 奈乃花『月と6ペンス』東京学芸大学附属国際中等教育学校4年(高校1年)
◆特別賞
張 麗娜『夜間飛行』東京大学教育学部附属中等教育学校4年(高校1年)
◆審査員奨励賞
高柳 祿『ドリアングレイの肖像』東京大学教育学部附属中等教育学校4年(高校1年)
【一般大学生部門】
◆最優秀賞
下地聡子『アドルフ』
◆優秀賞
野村慶子『マルテの手記』
◆特別賞
宮城一彰『すばらしい新世界』
◆審査員奨励賞
高橋 充『読書について』
詳しくは公式サイトをご覧ください。
船戸与一(ふなど よいち)
【受賞の言葉】
病いを得て荻窪の陋屋に隠棲し、体調のいいときに原稿用紙に向かうという暮らしをしている身には世間というものがわからなくなって来ている。むかしは解放区のように感じられた新宿もいま足を踏み入れるとまったく知らない街のようだ。状況と伴走すると豪語していた過去が恥ずかしい。ここ数年は取材めいた行動とは縁遠く、ひたすら文献との対話を繰りかえす日々である。
この賞は十年掛かりで書きつづけて来た『満州国演義』最終巻を脱稿した翌日に受賞通知を受けた。わたしはここ一年間第八巻以外上梓してないので、どの作品で選ばれたのかと訊いた。これは作品賞ではなく小説家個人に与えられるものだというのがその答え。わたしは本格推理を手掛けたことは一度もなく、ずっと傍流を泳いで来たのだ。ミステリー小説に貢献したとも思えないので大いに戸惑ったが、忝く頂戴することにした。
第18回「日本ミステリー文学大賞」特別賞 連城三紀彦(れんじょう みきひこ)
選考委員【講評】(50音順)
大沢在昌
日本の冒険小説、いや推理小説の世界において、世界の辺境、そして少数民族といったテーマに日本人をからめ、スケールの大きな小説を書く作家は、船戸与一氏以前には存在しなかった。その巨大な作品群は、デビューから三十五年たった今も、他の追随を許さない。
「小さな土壌に大木は育たない。少しくらい枝ぶりが悪くたって、でかい木をつくるほうに情熱を、だな」とは、かつて船戸氏が自らの創作精神について語った言葉だが、その大木にこうして実りをさしあげられるのは、選考委員としての喜びだ。
船戸与一という作家と同時代、作品を発表し、競いあったことは、私自身にとっても大きな誇りである。
おっちゃん、おめでとう。
権田萬治
多くの冒険小説の中で、船戸与一氏の作品は常に世界の辺境に目を凝らし、そこに生きる少数民族の運命に強い関心を抱き続けて居る点で、ひときわ異彩を放っている。
『山猫の夏』をはじめとする南米三部作はその好例だが、一人の若者が北アフリカのゲリラと戦う傭兵として残酷な殺戮の世界に身を投じ、冷酷な殺人者に変貌していく姿を鮮烈に描き出した『猛き箱舟』や、山本周五郎賞を受賞した、日本人をからめてクルド人民族の独立闘争を浮き彫りにした『砂のクロニクル』など多くの作品群は、長い年月を経た今も、なお現実感を失っていない。
『蝦夷地別件』からは、独自の視点に立つ歴史小説に関心を移し、大部の『満州国演義』に取り組むなど意欲的である。まさに大賞を受賞するにふさわしい作家である。
なお、今回は氏以外に先ごろ亡くなった連城三紀彦氏に特別賞を贈ることが全員一致で決まった。多くの優れたミステリーを残されたことを考えれば、当然の受賞といえよう。
西村京太郎
船戸与一さんの小説を読んだときのショックは、大きかった。それまで外国人を出したり、外国を舞台にした小説は、読者が感情移入できないからと言われて、書くのをやめていたのだ。船戸さんの小説を読んだとたん、おかしいじゃないか、世界を舞台にした小説だって、いや、その方が面白いじゃないかと、愕然としたのである。考えてみれば、狭い日本を舞台にするより広い世界を相手にした方が、面白いに決まっている。もちろん、それにふさわしい才能も必要である。船戸さんには、その才能も、視野の広さもあるのだから、どんどん日本を飛び出して、大きな小説を書いてください。
連城三紀彦さんの方は、私の苦手な作家である。世の中や人間に対する細やかな愛情や艶のある文章は、私にはとても真似が出来ないからである。いつも読み終わると脱帽してしまう。その連城さんが亡くなってしまった。今回特別賞を差しあげたいという話に、全く異議はありません。
森村誠一
船戸与一氏とは私的な交際は薄かったが、氏の作品の愛読者としてはかなりの線を行っていたとおもいます。特に好きなのは、『山猫の夏』と『砂のクロニクル』です。
意外な出会いもあった。『問題小説』一九九六年八月増刊号で異端の巨人(故)大藪春彦について二時間以上語り合った。その時の語り合いは、すでに十年以上のつき合いがあるような熱い情熱に満ちた、大藪氏を触媒として船戸氏と語り合った濃密な時間であった。なかでも「(前略)向こうは障子にペニスを突き刺すだけだけども、こっちは銃で撃ち殺すんだと言った(後略)」と終始こんな感じでした。
その船戸さんの受賞は、感無量です。対談中、私が「これから(船戸さんは)直木賞を取るかもしれない」と言ったら、船戸さんは「あり得ませんよ」と答えた。それが「あり得た」。そして今、日本ミステリー文学大賞を受賞した。改めて、受賞をお祝いします。
故人ではあっても連城三紀彦氏の特別賞受賞を、作家であると同時に歌人であった氏を偲んでお慶び申し上げます。
『一二月八日の奇術師』直原冬明(じきはら ふゆあき)
【受賞の言葉】
ギターを始めたひとを待っている最初の難関はFである。人差し指一本で三本もの弦を押さえなければならないFというコードが初心者の行く手を阻む。多くの楽曲で一度は顔を出すこのコードが押さえられないと、演奏が完結しないのだ。
ここで多くのひとがギターを投げ出す。
しかし、続けていると、ある日、突然、音が出る。そして、レパートリーが増える。
世の中の多くのことは、なだらかな上り坂ではなく、階段状ではないだろうか。ひとつ上の段へ行けたとき、視界が変わり、見えるものも変わってくる。
今、私は受賞という大きな段を攻略できた。
作家として歩んでいけば、この先、さらに高い段がいくつも待っているだろう。何度、押し返されようと、そこへ挑み続けることが、今回、手を差し伸べてくださった予選委員、選考委員の皆様、そして、選考にかかわってくださった方々への恩返しだと思っている。
選考委員【選評】(50音順)
あさのあつこ
今回、最終候補作四編、それぞれに味があるというか、個性の片鱗が窺われて楽しませていただきました。ただ、片鱗は片鱗に過ぎず、それが作品の大きな魅力とも、支える柱ともなりえていないところが、歯痒い。というのが偽らざる感想です。
作者が自分の構築した世界の有り様を理解しないで、生み出した人物の魅力を掴めないままでどうするのかと言いたい思いも存分にありました。それは、新人だからと見逃されるものではなく、むしろ、これから挑む者であるからこそ己の書くべき世界への真摯な追及、人物への必死の肉薄がなくては、とうてい作品にはならないのだと胆に銘じてもらいたいのです。
そういう意味で、わたしは今回「一二月八日の奇術師」を推そうと決めて選考会に臨みました。この作品には、作者の時代と人間を見詰める確かな視があると感じたのです。大戦前夜の軍部を舞台にしながらあくまで謎解きに終始したストーリーも大いにおもしろく、爽快でした。ただ、人物像の絞り込みがまだまだあまく、個々の書き分けも不十分で、とてもスリリングな場面なのに読み手は一向にわくわくしない、わくわくさせてくれないあたりが気になりました。とあれ、可能性を大いに含んだ作品です。この素材をどう料理し直すか。楽しみでなりません。タイトルは一考を。
「ワルモン」も手慣れた書き方で読ませます。この作者は一つの世界を持っているのかもしれません。それは、強みでしょう。でも、その世界が途中から、手前勝手に動きだし、読者をおいてけぼりにしている印象は否めません。他者に伝わってこその作品です。書き手と作品との距離感をしっかり見定めてもらえたらと願うばかりです。
それは、「キャピタリスト」、「GMモンスター」にも言えることでした。どちらも、素材としてはおもしろいのに人の描き方がいいかげんで、統一性がまったくなく、読みとおすのがなかなかに骨折りでした。
自分の作品の魅力、本当に書きたいことがなんなのか、登場人物たちとじっくり会話することで、掴んでほしいと思います。
笠井 潔
小説の文は描写、説明、会話で構成されるが、いずれの候補作も説明と会話に紙数を費やして描写が少なすぎる。これでは骨と皮だけで、筋肉も脂肪もない人間のようなものだ。次回の応募者には、この点に留意していただければと思う。
戸南浩平「ワルモン」。ピクニックに見立てた少女連続殺人がメインの謎で、二人の男が巨額の報酬につられ、最新の誘拐被害者を救出しようとする。元犯罪者による非合法的手段を駆使した捜査という設定は面白いが、実行されるのは住居不法侵入くらいで、これなら世のハードボイルド探偵と変わらない。また事件解決にタイムリミットが設定されているのに、さほどサスペンス効果が上がらないのはなぜだろう。
吉原啓二「GMモンスター」。中国の生物兵器にチベット独立運動を絡めた設定は今風だが、他の植物を駆逐する巨大ヒマワリが秘密兵器だというのは、さほど説得的でない。主人公による犯人当ての推理は憶測の山で、ミステリ小説としては失格といわざるをえない。
榊諒悟「キャピタリスト」。赤字続きの中小企業に経済ヤクザがからみ、社長の死亡事件が起きる。意外な犯人には驚きもあるし、物理的トリックも説得的で伏線も生きている。しかし酸水素を新エネルギーとして利用する技術の開発者が、パン職人だという設定は安直すぎる。主人公と父の人格的すれ違いと和解のドラマが、この無理な設定を要請したのだろう。
直原冬明「一二月八日の奇術師」は、真珠湾攻撃をめぐる諜報戦を描いた作品。犯人の動機に託された社会批判の主題は今日的だが、斬新な動機に見あう人物造形が不充分で、戦前昭和の風俗や街並みなどの描写も念入りとはいえない。戦前昭和を描いた作品はいまや歴史小説だが、事実誤認や不自然な設定も目についた。とはいえミステリ的なプロットや探偵役のキャラクターは魅力的で、選考委員会での討議を踏まえ本作を授賞作とした。
今野 敏
新人賞で最も大切なのは、応募者の才能を見極めることだと思っている。小説家の才能というのは、うまく書けていることではなく、他の書き手にはない独自の魅力があるということだと思う。それは、なかなか難しいのだが、要するに作者が何を語ろうとしているかがちゃんとと伝わってくるということだだろう。それがはっきりとしていれば、多少傷があっても作品として説得力のあるものになるはずだ。
「キャピタリスト」の最大の欠点は、読者に隠し事が多すぎるということ。ミステリーなのだから、当然謎は提示しなければならないが、隠し事が多すぎると、フェアではなくなる。着想や材料はおもしろいのだが、まだ小説として出来上がっていない。父親の手紙ですべてがわかるというのも、謎解きとしては安易な気がする。
「ワルモン」は、不思議な魅力のある作品で、最後まで興味を持ちながら読ませてもらった。だが、設定があまりに現実離れしており、読み終わってから、ふと我に返ると、「こんなのあり得ないよなあ」という感想が残る。設定に懲りすぎるのも、時には欠点となるということを理解してほしい。
「GMモンスター」の最大の欠点は、登場人物がありきたりで魅力にとぼしいこと。また、素材を整理して、物語としての焦点を絞るということができていない。料理をしていない生の素材を食べさせられたような印象が残った。アクションシーンもとってつけたようで、リアリティーもなく、必要ないのでは、と思った。
「十二月八日の奇術師」は、登場人物が魅力的に描かれている。謀略・防諜小説として面白く読めた。実際の歴史を背景としているので、一歩引いて読めば欠点もいろいろあるのだが、一歩引かせない筆力があり、物語に引き込まれた。登場人物の行動に多少不自然さは感じるものの、私は、強く受賞作に推した。
藤田宜永
特定の分野に精通している人が、それを材料にして小説を書く。榊さんの「キャピタリスト」はまさに、そういう作品だった。流行りの言葉で言えば“お仕事小説”。この手の小説の場合は、作者の経験と知識を度外視して、言葉によるデッサン力を見る。その点、力不足だった。警察小説を書いている作家に元警察官が何人いるだろうか? そのことを頭に入れておいてほしい。ただ本作品が扱った金融の世界は、“文芸”に馴染みにくいが、宝が隠されていることは間違いない。
吉原さんの「GMモンスター」にも“お仕事小説”のニオイがしたが、それは別にして、ミステリのいろいろな要素を盛り込みすぎていた。車のブレーキの細工も拳銃も必要なかった。どんでん返しにこだわったせいだろう、犯人の意外性はあったが、いかんせん動機があまりにも弱すぎる。化粧のうまさは多くの女性にとって大切なことだろうが、小説にも当てはまる。
「ワルモン」の作者、戸南さんは、この賞の常連で、これまで数本、読んできた。彼の目指す方向は常に変わらず、少女の誘拐、監禁といった要素が必ずメインになっている。それは作者の個性だから、他人が口をはさむ話ではないし、僕自身は面白く読んできた。ユーモアも上手だし、登場人物のキャラも立っている。しかし、仕掛けが意表をつくもののわりには、犯人の動機、登場人物の人間関係は案外普通で、その落差に戸惑わされてきた。今のところ“戸南ワールド”は膠着状態か。それを打破することを僕は願っている。
受賞作は直原さんの「一二月八日の奇術師」。四作の中で一番点が高く、僕もこの作品を推した。戦時中の街の描写、犯人やスパイの背景の折り込み不足などなど欠点はあるが、しっかりとした文章で書かれていて、うまい描写も散見でき、総合点で他作品を上回っていた。
僕は今回で選考委員を退くが、六年間、この賞に携わってきた。振り返ってみると、落選した作品の中にも印象に残るものがあった。今後もどしどし、この賞に応募してもらいたい。本賞をさらに大きくするのは、誰でもない投稿者なのだから。長い間、ありがとうございました。
中井英夫の大作『虚無への供物』が、「アンチ・ミステリー、反推理小説」を標榜し刊行されて50周年。いまや横溝正史『獄門島』に次いで日本の推理長編ベスト第2位の座を不動にしている。
本書はまた戦前の、夢野久作『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』と併せてミステリー界の、いや日本文学の三大奇書という栄誉にも輝く。折りしも2015年は、先行する二巨峯の刊行から80周年。日本の幻想文学・異端文学の脈流に改めて想いを馳せる好機ではあるまいか。
史上初「三大奇書」を一堂に!
ことに今回、中井氏の命日である12月10日(水)と、その前日との2日間限定ながら、九州大学記録資料館および世田谷文学館のご協力を得て、『ドグラ・マグラ』草稿、『黒死館殺人事件』原稿、そして『虚無への供物』草稿が一堂に会する予定。史上初の快挙と自負したい。
両日以外も、会期中は前2者をレプリカにて展示。また、江戸川乱歩への『虚無への供物』完成報告の手紙も、東京では初めて一般の目に触れるもの。
そのほか、展示替えも予定されているので、二度三度のお越しをお待ちしております。
(資料館運営委員/新保博久)
*2日間限定のオリジナル展示見学に予約は不要ですが、混雑時、入場制限を設ける場合があります。資料館ゆえ会場では静粛にお願いします。展示品の撮影・筆写等は禁止です。
2013年の新人賞作品として、各界ナンバーワン評価を得た葉真中顕が、「のたうち回った」あげく世に問う、ひとりの女の壮絶な物語。
渾身の950枚をぜひご一読ください。
収録作=角田喜久雄「霊魂の足」天城一「不思議の国の犯罪」大坪砂男「三月十三日午前二時」楠田匡介「雪」鬼怒川浩「銃弾の秘密」岡村雄輔「うるっぷ草の秘密」坪田宏「歯」飛鳥高「犠牲者」
9月3日の予選委員会にて、第18回「日本ミステリー文学大賞新人賞」候補作が決まりました。
予選委員各氏=円堂都司昭・香山二三郎・新保博久・千街晶之・細谷正充・山前譲・吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点。
候補作は下記4作品です(タイトル50音順)。
応募総数173編のなかから、1次予選を通過した22作品は下記の通りです(応募到着順)。
【予選委員からの候補作選考コメント】
円堂都司昭
ベンチャーキャピタルを扱った「キャピタリスト」、泥棒たちが誘拐事件を追う「ワルモン」、スパイの活躍を描いた「十二月八日の奇術師」、奇形植物が繁殖する「GMモンスター」。バラエティに富んだ四作が最終候補に残った。いずれも、なにについて読ませたいのか、作者が自覚して書いた作品だ。ポイントの絞り込みは大切だし、それにどう肉付けしていくかである。
最終候補以外の作品のなかでは「コインシデンス」が健闘していた。何度もひっくり返しがあり、ミステリー小説としての意外性へのこだわりがみられた。次回作に期待したい。
応募原稿全般にいえるのは、もう少し推敲と校正をしようということ。ただの誤字だけでなく、人物の名前の取り違えもみられる。フェアな表現や伏線が重視されるミステリーで、作者自身が誤認していては洒落にならない。きちんと読み返して、自分の文章を確認しましょう。
香山二三郎
今回は混戦状態で、落選作品にも個人的に推した作品が幾つかあった。誉田哲也の姫川玲子シリーズを髣髴させる女性刑事もの『執念い』がその代表格。潜入捜査官殺しを追うシリアスな捜査劇でヒロインを囲む男性刑事たちの個性も際立っていた。後半グダグダな展開になってしまうのが惜しまれる。次回はきっちり推敲して完成度を高めてください。
他にも、捜査現場で倒れた刑事がロックド・イン症候群に陥ったあげく、その入院先で人質立てこもり事件が起きる『ロックド・イン』、休暇中の海兵が関東大震災直後の東京で不審な男女を助けたことから国際的な黄金争奪戦に巻き込まれる『楽園の残照』、大学のミステリー研究会のメンバー内に起きた事件の謎に落語家の妻殺しの顛末を描く作中作を絡ませた『ミセス・マープルと割れた西瓜』等が印象に残った。最終候補とは僅差、次回は推敲をより徹底して臨まれたい。印刷原稿は字間を広く空けぬようくれぐれもご用心。
新保博久
多くの先達が言うごとく、小説はどのように書いてもいい。しかし、こう書いてはいけないというのもあって、少なくとも一場面一視点の原則は守ってもらいたい。「Aは内心を押し隠した。だがBはそれを察した」というふうに書いてはならないということだ。ついでに、重要な役を演ずる記者の勤め先が毎朝新聞というのもやめたほうがいい。独自の小説世界を創る気があるのか疑ってしまう。
困ったことに、今回の最終候補作にすら、これらが守れていないものがある。さりとて、ほかに強く推したい作品もあまりなかった。なかでは、無駄にどんでん返しを重ねず、一発で逆転技を決めた「セカンドキャラクター」、続いて何が起こるのかとページを繰る手に期待をもたせつづけた「双子時計」などに、特に心惹かれたものだ。
千街晶之
今回は漢字変換のミスが目に余る原稿が数作あった。書き上げた後、一度でも推敲すればこの種のミスは減らせると思うのだが。
候補となった四作品では、『一二月八日の奇術師』と『ワルモン』がずば抜けていたという印象。他はこの二作より弱いと感じた。特に『GMモンスター』は主人公が後半いきなりハードボイルドなキャラに変貌するなど不自然な部分が多かった。
落選作のうち、私が強く推したのは『金困力』。誘拐の常識をことごとく覆す逆説的ロジックや、純粋に容疑者のデータだけから犯人を一人に絞り込む安楽椅子探偵的趣向が魅力的だったが、まだ人質が戻っていないのにその父親が探偵役と延々話し込んでいる不自然さなど問題点も多い。とはいえ、無難に上手だがミステリとして新味がない作品より、こういう斬新な作品こそ最終候補に残すべきだと主張したが、他の予選委員に理解してもらえなかったのが残念である。
細谷正充
昔に比べると、まったく小説になっていない応募作は、格段に減りました。全体のレベルは上がっています。ただ、多くの作品は、小説になっているというだけで、面白くありません。その理由を一言でいえば、小説とは何かということを、きちんと考えていないからでしょう。
一例として、原稿の枚数を挙げます。本賞の応募規定枚数は、350枚から600枚です。でも、600枚近く書いてくる人が、圧倒的に多いです。これは枚数が少ないよりも多い方が見栄えがいい、あるいは評価されると考えているからだと思われます。大きな間違いです。小説の枚数とは、書くべき物語の内容から決定するもの。自分の作品の最適な長さはどれくらいか、しっかりと理解してもらいたいものです。そして、こうした呻吟の積み重ねが、作品を磨いていくのです。物語を面白くするための努力に、限りはありません。これから本賞に応募する人は、そのことを踏まえて、頑張ってください。
山前 譲
最初に回ってきた応募原稿のなかに、中学生の方と80歳を過ぎた方の作品があり、年齢的にずいぶん幅広いことに驚かされた。そして、トリック満載の前者も、社会性豊かな後者も、トータルな評価では最終候補のレベルではないけれど、その真摯な書きっぷりに清々しさを感じた。というのも、30代から50代にかけての、もっとも生きのいいミステリーを書いてくれそうな年代の応募作に、雑なものが多かったせいである。
誤字・脱字が多かったり、重要な登場人物の名前が不統一であったり、「はい」「うん」といった無意味な受け答えの会話だったりと、読んでいて作品になかなか集中できなかったのだ。締切りは気になるだろうが、やはり一度はしっかりと読み返してほしい。
また、ひらめいたテーマにこだわるのはいいけれど、そのテーマに先行するミステリーがないかどうかは、やはりチェックしたほうがいいだろう。トリック同様、テーマにも「新しさ」を期待するからである。
吉田伸子
今年は、例年にも増して接戦でした。終ってみれば、得点上位4作が最終候補という順当な結果になりましたが、最終候補作と惜しくも候補を漏れた作品との差、は紙一重でした。ですが、その″紙一重″が大きいのもまた事実です。今回、二次に残った作品のなかには、アイディアにはオリジナリティがあるものの、そのアイディアに寄りかかってしまっている(そのアイディアを「成立させるため」の物語になっている)作品が何作かありました。
せっかくのアイディアであっても、それをミステリとして成立させるために無理が出てしまうと、作品としての魅力は薄れてしまいます。アイディア「だけ」では、二次を勝ち抜くことは難しいです。あと、これは昨年も書きましたが、「推敲」の重要性。てにをはの間違いや誤変換はまだしも、登場人物の名前を間違えるというのは、致命的なことだと思ってください。辛口なことを書きましたが、私を始め、予選委員はみなさんの応援者でもあります。どんどんチャレンジして、新しいミステリの扉を開いてください。
フラメンコ・ギターでは、自らその腕前を披露するだけではなく、世界の一流ギタリストを招いてのコンサートを企画もしている。厖大な数の史料を読み解いてのスペイン現代史研究では、数々の新事実を発掘する。そして、ハメットでハードボイルドに目覚め、1987年には、『カディスの赤い星』で直木賞と日本推理作家協会賞を受賞した。
ドゥエンデ──スペイン語では「歌や踊りなどの不思議な魅力・魔力」も意味するというが、そのドゥエンデを実感できるのが、逢坂剛の世界だ。
第17回日本ミステリー文学大賞受賞を記念して、3月15日から8月30日まで、ミステリー文学資料館にて開催中。
誘拐された娘、救えるのはブラジルに消えた妻、絶体絶命の父親。……家族愛を取り戻すため、いま、カウントダウンが始まった!(「カウントダウン168」市川智洋を改題・改名)
1月21日、学芸記者七名による全選考委員出席のもと選考会で討議を重ねた結果、北村想さんの「グッドバイ」が、南北賞受賞と決まりました。
なお、昨年中に上演された新作戯曲のうち、ノミネートされた候補作は下記6作品でした(候補者五十音順)。
贈呈式は3月17日、東京會舘にて日本ミステリー文学大賞・同新人賞と併せて行われます(「光文三賞」)。
第6回を迎えた「読書エッセイコンクール」には、団体・個人1232件のご応募をいただきました。ありがとうございます。部門別の入賞は下記の方々です。
<小・中学生部門>
○最優秀賞 『クリスマス・キャロル』松嶋莉央(大妻中学校)
○優秀賞 『飛ぶ教室』杉村俊介(海陽中等教育学校)
○審査員特別賞 『すばらしい新世界』酒巻祐理(大妻中学校)
○審査員奨励賞 『黒猫/モルグ街の殺人』井桁瞳子(筑波大学付属中学校)
<高校生部門>
○最優秀賞 『変身/掟の前で』小河青葉(市立札幌大通高校)
○優秀賞 『すばらしい新世界』大沢かおり(東京学芸大学附属国際中等教育学校)
○審査員特別賞 『フランケンシュタイン』富岡はづき(東京大学教育学部附属中等教育学校)
○審査員奨励賞 該当者なし
<大学・一般部門>
○最優秀賞 『カメラ・オブスクーラ』山上晶子
○優秀賞 『読書について』高原貞夫
○審査員特別賞 『闇の奥』斉藤思温
○審査員奨励賞 『読書について』椎原理己
詳しくは公式サイトをご覧ください。
逢坂 剛(おうさかごう)
【受賞の言葉】
事実上の処女作、『カディスの赤い星』を世に出したい一心で、とりあえず作家になろうと腹を決め、新人賞への応募を始めたのが一九七〇年代の後半だった。
その結果、八〇年にオール讀物推理小説新人賞を受賞し、八六年には『カディス……』を刊行する、という所期の目的を果たした。ついでに、直木賞受賞というおまけまで、ついてしまった。
したがって、本来はそれで筆を折ってもよかったのだが、編集者や読者の期待に励まされて、その後も作家を続けることになった。そうした営為が、今日まで三十三年間も続いたという事実に、自分でも驚いている。まだ、この賞に値する実績を上げたという自覚はないが、ここでわたしがしかるべく片付いておかないと、あとから来る後輩作家にも迷惑がかかるだろう。
ありがたく栄誉を受けるゆえんである。
選考委員【講評】(50音順)
大沢在昌
スペインを舞台あるいは題材に、近代史をからめたミステリは、逢坂さんの独壇場といってよい。これまでも、そしておそらくこれからも、逢坂さんほどの知見をもった書き手は登場しない。まさに「一人ジャンル」である。
近年は時代小説にも手を染めておられるが、現代ものとのバランスをうまく配分し、どちらも旺盛な執筆活動をされている。
と、カタい選評はここまでにする。逢坂さんは、私にとってデビュー来の戦友であり、ライバルで飲み友達で、日本推理作家協会理事長のバトンを渡された、かけがえのない仲間だ。したがってこうして選評の対象にするのも照れくさい存在である。
本当はおめでとうとしか書きたくない。受賞はもちろん当然で、恩を着せるわけにもいかない。
おめでとうございます。逢坂さんも照れくさいでしょうが、ここはひとつ盛り上がりましょう。
権田萬治
直木賞を受賞した『カディスの赤い星』をはじめとする冒険小説、『裏切りの日々』や『百舌の叫ぶ夜』などのハードボイルド・タッチの公安警察もの、『水中眼鏡の女』などのニューロティック・スリラー、さらには時代ものの近藤重蔵シリーズ、等々、逢坂剛のミステリーの守備範囲はかなり幅がある。しかも一作一作が丹念に作られていて期待を裏切られない。
これら氏の作品の根底に秘められているのは、若き日に打ち込んだフラメンコギターへの強い愛着、内乱当時の政治状況に対する深い関心など、スペインの政治文化に対する熱い想いと、アメリカのハードボイルド・ミステリーや西部劇への傾倒である。
このことは氏が柔軟な読書人であることと相まって湿っぽい日本的風土の中で独創的な良質のエンターテインメント小説を作り出すうえで大きな力になっていると思う。
大賞受賞は当然で、一層のご活躍を心から期待したい。
西村京太郎
ミステリー、特に冒険小説の分野での逢坂さんの活躍ぶり、貢献の度合いは、すでに衆知のことで、私なんかより、逢坂さんのファンの人たちが、作品の素晴らしさを楽しんでいることで、はっきりしています。正直にいえば、私自身も逢坂さんのファンの一人で、ここでいろいろ選評を書くより、作品を読んでいただきたいのです。そんなわけで、逢坂さんの作品評は、他の選者に委せて、私は、日頃、逢坂さんを羨ましいと思っていることを書いておきたいのです。最近特に感じるのは、どうして楽器の一つでも弾けるようにしておかなかったのかという後悔です。ピアノが弾けたら、ギターが弾けたら、どんなに豊かな人生を送れただろうかと思ってしまうのです。逢坂さんは、プロ級の腕を持つフラメンコギターの奏者でもあると聞いて、多分私の二倍の人生の楽しさを味わっていらっしゃると思っています。ミステリーの作家としても、音楽を楽しむ豊かさでも、二重に脱帽しています。
森村誠一
この度の選考ほど、束の間に全選考員一致して受賞者が決定した例は、珍しいようである。
いずれも錚々たる候補者の中から、さしたる論議もなく、受賞が決定したのは、それだけ受賞者の存在が、論考の余地もないほどに圧倒的であった事実を示している。
選考会出席のために家を出たときから、私の意識の中で受賞者が決定していた。候補者はいずれも私的に親しい方々ばかりである。だが、この選考は候補者を含めて、どこからも異議は出ないという自信もあった。
逢坂剛氏受賞と満場一致で決定した後、余った時間で今後の選考が本賞の性格に照らして「圧倒的な存在」という点に絞って熟考、議論された。
O氏の「本賞は作品ではなく、人間にあたえられる」の言葉通り、キャリア、知名度、推理文芸に対する貢献度、維持力等総合されての選考は、回を重ねるほどに難しくなるであろう。その意味でも逢坂氏の受賞をこころから祝する。
『カウントダウン168』市川智洋(いちかわともひろ)
【受賞の言葉】
四年に一度のオリンピック。選手はもちろん、コーチや監督、最後は国民が一丸となってメダルを目指す。だが、メダリストになれた者の数十、いや数百倍、手にできず夢破れた選手たちが生まれる。どうしてもそちらを見てしまう。残酷にさえ思える。
日本に多数ある文学賞。オリンピックの何倍も間口が広いのにどうしても手が届かない。毎年一作。そう誓い、それだけは続けてきたが、四度のオリンピックがその間に過ぎた。
受賞の報を聞き、喜びよりもまず、ようやくとの思いが浮かぶ。だが次に、読者の手元に届くであろう作品を思い描くと、途端に気持ちが揺らいだ。しかしこれこそが作家への一歩なのかもしれない。はじめてそう感じた。
過分なる賞を多くの支えの下にいただいた。
これまでより何倍も厳しいであろう道だが、自分で選び、つかんだ道。一歩一歩、自分のペースで書き続けていきたい。きっとそれこそが、最大の恩返しになるはずだから。
選考委員【選評】(50音順)
あさのあつこ
今回初めて、選考に加わらせて頂いた。ずしりと重い原稿の束が手元に届いてから選考会に臨むまでの日々は、ある意味心が弾むような、ある意味疲れ果てるような奇妙な時間だった。
最終候補作四編。それぞれに個性と重みと美点と瑕疵がある。何度か読み返し、推すのなら『炎冠』と『カウントダウン168』の二つかなと考えつつ選考会場に向かった。
『炎冠』は、女性ランナーが都心で爆死するという何とも派手な場面で始まる。国民的マラソンランナーが爆弾を無理やり装着させられたまま東京マラソンのコースを走るという、奇想天外な発想には目を見張った。しかし、犯人の正体や女刑事が犯人に気が付くきっかけがお粗末でありきたりに過ぎた。突拍子もない発想を生かすのはリアルな細部であり、作者の人間を洞察する視に他ならない。受賞作『カウントダウン168』は安定した筆致で読ませる。家族を守ろうと奮闘する男の姿は古臭いようでありながら、心を打つ。愚直なまでの真摯さで作品に向かい合おうとする作者の心意気は貴重だと思う。ただ、わたしは悠子という少女の描き方がどうにも納得できなかった。彼女の葛藤、性質、想いこそが核にならなければ、この小説は成り立たないと思う。そこが甘く、薄い。だから、緊張感が欠落し、作品の輪郭が曖昧になってしまった。何のために誰を描くのか。腰を据え、覚悟を定め、書き続けてほしい。一作ごとに力を蓄えられる書き手だと思う。
『コンプライアンス』と『沈黙の祈り』は、どちらも組織の内にある悪を炙り出そうとした作品だ。巨大組織の腐敗が次々と明らかになっている昨今、大きなテーマに挑んだ作者たちを称したい。しかし、内容はあまりにご都合主義でリアリティに乏しい。登場人物も魅力がなく視点のぶれも気にかかった。一作を書き上げ、推敲し、さらに書く。その繰り返ししか道はないと肝に銘じ再挑戦を。
笠井 潔
一般に小説は〈説明〉、〈描写〉、〈会話〉の三要素からなるが、栁沼庸介『コンプライアンス』には〈描写〉の要素が基本的に存在しない。小説以前の書き物といわざるをえないわけで、これでは困る。戸南浩平『炎冠』の場合、三人称視点が一場面で人物間を移動する、三人称視点と一人称視点が混在するなど、視点問題の処理にいささか難がある。自由間接話法など、三人称小説のテクニックが使いこなせていない。警察という男社会でセクハラに耐えながら奮闘する若い女性刑事というキャラクターも、いまでは凡庸すぎる。『コンプライアンス』では〈操り〉、『炎冠』ではバールストン・ギャンビット(犯人を死者に見せかける探偵小説のテクニック)と、高度なミステリ技法を使っているのだが、謎の提示と解明の論理に未熟さが目立った。大学空手部を舞台にした村瀬渉『沈黙の祈り』は、物語の設定や登場人物の心理に難点が多い。たとえば「私設警官」の設定や、レイプ被害女性の心理と行動など。市川智洋『カウントダウン168』は、〈描写〉や視点、物語の大枠など、他の三作と比較して無理は少ない。ただし難点は、いまのままでは誘拐ミステリとしての真相が見えすぎること。誘拐事件としては例外的に、身代金の受け渡しまでに一週間の猶予を与えられた点などから、少なからぬ読者が真相に辿りつけそうだ。人物像のリアリティ不足は否めないし事実誤認も散見されるが、単行本化にあたっての加筆修正は可能だろう。他の選考委員もおおよそのところ同意見で、『カウントダウン168』に授賞が決定された。
今回から選考を担当することになったのだが、候補作の作者が例外なく中高年男性である事実に少し驚いた。もともと小説は女性の、そして若者のものである。次回は二十代、三十代や女性の応募作にも期待したい。
今野 敏
今回の応募作を読んで、感じたことは、書き手の中で整理が付いていないということだった。作家は、小説を通じて自分の思いを読者にちゃんと伝えなければならない。そのためには、技術も必要だが、まずは作品に込める「思い」が何より必要なのだと思う。
『コンプライアンス』は、二重の操り犯罪という困難なアイディアに挑戦したという意気込みを買いたい。だが、残念ながら、設定に無理があると感じてしまった。説明が多すぎて読者の関心を引っぱって行くストーリーが作れなかった。
『炎冠』は、文章も比較的読みやすく、前半は、興味を引かれつつ面白く読めた。だが、残念なことに、中盤以降に荒さが目立った。意外な犯人を仕立てた意図は理解できるが、もう少し布石を打っておかないと、読者に唐突感を与えるだろう。爆弾処理のシーンは、あまりにありふれたエピソードなので、一気に興味が削がれてしまった。それが惜しまれる。
『沈黙の祈り』は、実はけっこう楽しく読んだ。というのも、頭の中で時代ものに置き換えて読んだからだ。大学の廃部問題を、藩のお取りつぶしに置き換え、主人公を家老などに置き換えてみた。すると、実に活き活きとした物語に感じられた。しかし、それはつまり、現代を舞台にした小説としては、疑問点が多いということになる。警察の動きを含め、もっと検討する必要があるだろう。
受賞作に決まった『カウントダウン168』は、『炎冠』とは対照的で、中盤から徐々に面白くなる。ただ、主人公や警察の動き方がどうしても不自然に感じられる。
これは、作者の都合で登場人物を動かしているからで、読者を納得させるためには、もう少し考える必要があるだろう。娘への思いなどを過剰に感傷的に書きすぎて、かえって切実さを削いでいるように思える。ともあれ、読者の興味を絶やさない力があったと思う。
藤田宜永
『コンプライアンス』は、企業物ミステリ。私の知らない大会社の内情を教えてくれる作品だった。当然、多くの社員が登場するわけだが、その書き分けが不十分で、犯人像も今ひとつ浮かんでこなかった。警察小説にも言えることだが、登場人物の数が増える作品は、書き分けが大変難しい。そこに注意を払い、誰が中心人物なのかを色濃く伝える技が必要である。
『沈黙の祈り』は大学の空手部を舞台にした学園ミステリ。この作品も、私にとっては門外漢の世界だから興味深く読んだ。しかし、ミステリとしての荒さが気になった。重要参考人である人物が逮捕起訴されたのかどうか、はっきりしないので戸惑いを感じた。この人物がまったく登場しないことも含め、課題の残る作品だった。
『炎冠』は、マラソンランナーを爆殺するというアイデアを、或る程度上手にこなした作品だった。四作のうちで一番読みやすく、私はこの作品の受賞もありえるだろうと思って選考会に臨んだ。しかし、賛同は得られなかった。犯人のアシスタントが大団円に近づいた時に、突然、登場してくるのはいただけない。前半部分で、さりげなく出しておくべきだろう。戸南さんのものは、これまで何本か拝読している。作者の小説観には一貫性がある。人間心理に深く入り込むことを避け、軽く表層的に扱う。それが作者の持ち味と好意的に読んだのだが、やはり、もう一皮剥けないと、この手の作品は受賞に届きにくいのだろう。
『カウントダウン168』は、娘の誘拐事件の真相に迫ろうとする父親が主人公。他の作品と違って三人称一視点で書かれた、家族をテーマにしたミステリである。違う登場人物の視点に入れない分だけ、物語の拡がりはないが、書き切った努力に好感を持った。ミステリとしての欠点、文章のゆるさ等々、気になる点が多々あるが、この作品の受賞もありえると思っていた。戸南さん同様、市川さんの作品も私はいくつか拝読している。流行り物に惑わされずに、オーソドックスなミステリを、丹念に描いていかれることを、私は市川さんに期待したい。受賞、おめでとうございます。
ハードボイルドから安楽椅子探偵、時代小説なら謎解き重視の捕物帳から痛快剣劇まで。編集者としては007やショートショートを初輸入。時空とジャンルを往還した活躍は、10年の不在を超え、新たな読者をも魅了する。
その多才さを、ありきたりの作家展で伝え尽くすことは不可能に近い。本展は、遺品の多くを継いだ堀燐太郎氏のご協力によりユニークなものにできたが、それでもなお表現しきれなかった広大なツヅキ宇宙にこそ、想いを馳せていただきたい。
期間=2013年10月29日(火)~2014年2月22日(土)
於=ミステリー文学資料館
なお、展示に連動して、所蔵資料特別公開⑤「江戸川乱歩、植草甚一、都筑道夫らが選んだ初期のハヤカワ・ミステリ千余点」=ポケミス101『大いなる殺人』(M・スピレイン)~1200『煙幕』(D・フランシス)も展開中。
好評をいただいた『麺’sミステリー倶楽部』につづく、身近な事物を扱ったアンソロジー第2弾、早くも「真打登場!」ともいうべきテーマは古書。古本の底知れぬ魔力に酔う快楽……本に取り憑かれた人々が織りなす世にも不思議な物語12篇をお届けします。
収録作は江戸川乱歩(口絵のみ)/松本清張「二冊の同じ本」/城昌幸「怪奇製造人」/甲賀三郎「焦げた聖書」/戸板康二「はんにん」/石沢英太郎「献本」/梶山季之「水無月十三么九」/出久根達郎「神かくし」/早見裕司「終夜図書館」/都筑道夫「署名本が死につながる」/野呂邦暢「若い沙漠」/紀田順一郎「展覧会の客」/仁木悦子「倉の中の実験」
9月3日の予選会で第17回「日本ミステリー文学大賞新人賞」候補作が決まりました。
予選委員は、円堂都司昭・香山二三郎・新保博久・千街晶之・細谷正充・山前譲・吉田伸子の7氏。候補作は下記4作品です(タイトル50音順)。
なお、予選会に先立ち、応募総数203編のなかから、1次予選を通過した21作品は下記の通りです(応募到着順)。
【予選委員からの候補作選考コメント】
円堂都司昭
最終候補4作を決定する前の一次選考通過は21作品だった。どれも予選委員がどこかに良い点を見出した作品である。とはいえ、この段階でも、きちんと推敲して投稿したのかと疑問に思うものが多かった。
魅力的な状況を前半で作っていても、後半で駈け足になる、つじつまのあわせかたが強引すぎるなど全体のバランスが整っていない例が目立つ。
また、すでに新人賞への応募経験がある人たちにいいたいのは、これまで書いたものに比べて成長したと、胸を張れる作品を投稿しているかということ。過去に一次、二次選考を通ったからといって、自分の殻を壊そうとしないまま書き続けるならば、書きなれてある程度のレベルは維持できても、やはり受賞には至らないだろう。
自分の作品を別人になったつもりで読み返し、全面的に書き直すことも厭わない勇気を持って推敲してほしい。
香山二三郎
字間を広く空けた原稿が相変わらず多くてまいった。自分で再読して読みにくいとは思わないのだろうか。最終候補に残った作品の多くは常連応募者の作品だったが、さすがに印字からしてきっちりしていた。字間設定にはくれぐれもお気を付けて。
他の作品では、ヴィンテージ・ジーンズをめぐる追跡小説『ジーンズ・ハンター』、女子高生のノワールなキャラが光っていた学園サスペンス『ピック症候群』、タフなトラブルシューターが一五年前の新興宗教テロに絡んだ兄にまつわる事件に巻き込まれる『ビッグブラザー』等が目についたが、ミステリー趣向が弱い、構成や会話に不備が目立つ、既存の題材に寄りかかっているなど、反対意見が出された。自分独自のテーマ選び、話作りに力を注ぐのはもちろん、書き終えた後の推敲にも、じっくり時間をかけていただきたいと思う。
新保博久
1次予選通過作でこれはと思ったものはおおむね最終候補に残っているので、ここでは1次で落としたある応募作について書く。達者な書きぶりで感心していたのだが、P・D・ジェイムズ著『女には向かない職業』の浪花オッサン版かという予想を外してゆくのはいいものの、途中で主人公が不必要に残酷な行為に走る。走ってもいいが、顔を傷つけられた女は主人公を絶対に許さないだろうに、その後も行をともにするのがあり得ない展開と映った。もう一つ問題は、タブーに触れかねない題材を扱っていることで、あえて挑戦する意気は買えても、それをエンターテインメントとして出版させようとするなら、普通以上に高い完成度が要求される。この2点において落とさないわけにいかなかった。
以上は、その応募者のかたにだけ申し上げたいのではありません。
千街晶之
今回の最終候補に残った四作品は、欠点も目立つがそれを相殺する美点もある作品と、全体的な完成度の高さやリーダビリティで勝負した作品とに分かれた。戸南浩平『炎冠』と栁沼庸介『コンプライアンス』は前者であり、市川智洋『カウントダウン168』と村瀬渉『沈黙の祈り』は後者だ。欠点はないに越したことはないのだが、「自分はこれで受賞するぞ」という気合いが作品から感じられるかどうかはやはり重要だ。
あと一歩だった若王子泉『ビッグブラザー』はリーダビリティの高さを評価したが、ある人物の行動原理が不自然という指摘には反論が難しかった。同じくあと一歩組の天利礼二『シスト』は大きな欠点はないものの、よほどの新機軸がない限り評価し難い伝染病テーマを選んだこと自体、自分でハードルを上げすぎた感がある。応募者のうち何人かには、六百枚ぎりぎりまで書くのは無駄な努力なので、そのぶん要らない箇所を削る方向で作品の完成度を高めてほしい、と言っておきたい。
細谷正充
一次選考、二次選考を通じての印象ですが、ミステリーのジャンルに入れるのは苦しい作品が、一定数ありました。現代伝奇小説や、ホラー小説に、小手先の謎を付け加えてミステリーだといわれても、高い評価を与えることはできません。これは、日本ミステリー文学大賞新人賞です。自分が書いている小説は何なのか、自分の書きたいジャンルは何なのか、しっかり見極めてから、送るべき新人賞を決めてください。手当たり次第に送っても、いいことはないです。
そして、これに関連した話になりますが、応募者の皆さんは、作家になりたいのでしょうか、小説を書きたいのでしょうか。もちろん創作のモチベーションは各人の自由であり、こちらがとやかくいうことではありません。でも個人的には、作家になれるならジャンルなど何でもいいという人より、ミステリーを書きたいという熱意の伝わってくる作品を執筆している人に、好意を抱きます。
山前 譲
1次予選で読んだ作品に、10代や20代の作者が目立った。そして、いくつかの作品では、キャラクターの書き分けも巧みな、しっかりとした文章に驚かされた。『凍て付く太陽』、『月の陰影』、『十億秒の兄弟』といった作品である。
ただ、家族であったり学校であったりと、作品世界がどうしても狭くなってしまうようだ。そこに止まっていては、ミステリーとして、なかなか新しい趣向を織り込めないように思う。結果的には、選挙を絡めて独特の歪んだ心理を描いた、『十億秒の兄弟』だけを2次選考に上げたのだが、他の2作品の作者もこれから大いに期待したいところだ。
そして2次選考でも、大学生の合作による本格ものなど、今年は若い世代が元気だった印象がある。若ければいいというものでもないけれど、フレッシュな感性をフルに生かして、「今」をミステリーで描いてほしい。
吉田伸子
今回、気になったことが二点あります。
一つは「推敲」。文字の誤変換というのは、読みの「音」で推察することはできるのですが、読んでいる流れが、その箇所でつっかえてしまいます。長編のなかで、一カ所、二カ所くらいなら許容範囲ではありますが、それでもマイナスポイントである、ということを書き手の方に心に留めておいていただければ、と思います(単語の誤変換はもちろんですが、「てにをは」の誤変換、登場人物の名前の誤変換等にも留意してください)。そういう些細なミスは、推敲することで防げることだと思います。
もう一つは、「登場人物の名前」です。山村と山内とか、同じ漢字を用いた人名が複数出て来るのも、やはり読みづらいです。こちらも些細なことですが、そういう細部こそが、物語を支えていることも、また事実なのです。
日本ミステリー文学大賞第一回受賞者、佐野洋さんのお別れ会「佐野洋さん、ありがとう」が、6月26日、東京會舘で催された。
会のタイトルを揮毫された村上豊氏による献杯のあと、発起人を代表して三好徹、五木寛之、大沢在昌各氏が挨拶。写真パネルや足跡スライド、新刊インタビューDVD等で、会場の作家・編集者・友人たち300名あまりが故人を偲んだ。
佐野洋さんは年度別アンソロジーに1960年以降、40年近く毎年作品が採られる「短編の名手」として知られるが、『一本の鉛』をはじめ傑作長編も数多い。また、1973年スタートの「推理日記」は、474回もの長期連載としてミステリー界に刺激を与え続けた。2013年4月27日逝去、享年84。
光文文化財団が主催する「感想文コンクール」。第6回より「読書エッセイコンクール」と名称を変更して、募集が始まりました。
さらに小学生も審査対象に加え、小・中学生部門、高校生部門、大学生・一般部門それぞれに対象図書が厳選されています。
1作品につき、400字詰め原稿用紙5枚以内(大学生・一般部門は10枚まで可)。
締め切りは9月20日(金)必着。
明智、金田一、神津……ミステリーの歴史と共に華々しく活躍した名探偵の陰で、その名を残すことなく埋没していった探偵も少なくない。「新青年」など戦前の雑誌に書かれた膨大な作品群から、読み応えのある魅力的な探偵たちに、改めてスポットをあてた傑作アンソロジーをお届けしよう。
収録作品は「拾った和銅開珍」甲賀三郎、「蒔かれし種」あわぢ生、「素晴らしや亮吉」山下利三郎、「古銭鑑賞家の死」葛山二郎、「競馬会前夜」大庭武年、「麻雀殺人事件」海野十三、「医学生と首」木々高太郎、「青い服の男」守友恒(解説=山前譲)。
虚構に張られた事実の糸か、現実を貫くひとすじの物語か。虚と実、光と闇とを自在に往還する当代屈指の語り部の舞台裏がいま、初めて公開される。耽美・残虐・物語性に彩られた作品群を産み出した源泉 へ、さあ巡礼の旅にお誘いしよう。
第16回日本ミステリー文学大賞受賞を記念して、「虚実つなわたり 皆川博子の世界展」を開催しています。いずれも初公開資料ばかり。ぜひお出かけください。
於:ミステリー文学資料館
期間:2013年3月12日(火)~8月31日(土)
「掛け値なしの傑作。脱帽です」(綾辻行人)、「デリケートな問題を扱う公平さに感嘆」(近藤史恵)、「構成の見事さにうまく騙された」(今野敏)、「作者の批評精神が素晴らしい」(藤田宜永)──4選考委員がこぞって絶賛した骨太エンターテインメントを、ぜひお楽しみください。
最近、資料館でのパソコン使用、資料の写真撮影をされる方が増えています。
そこで、下記「注意事項」を新たに設けました。
ご一読、ご理解いただいたうえで、今後とも当館資料を研究・調査にお役立ていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
─ 記 ─
資料閲覧・メモ書き等の際、パソコンの使用は自由です。
但し、無音にてご使用ください。
閲覧テーブルの下にコンセントが2箇所ございます。
デジタルカメラ・携帯電話等による資料の写真撮影はご遠慮いただきます。
所定の手続きにより、コピー機をご利用ください。
万が一、資料の破損・汚損が生じた場合は、ただちに受付職員にお知らせください。
これまで同様、館内での飲食、携帯電話の使用等、他の来館者に迷惑がかかる行為は禁止いたします。
一般財団法人 光文文化財団
ミステリー文学資料館/事務局
2013年2月
学芸記者七名の選考委員によりノミネートされた候補作は下記6作品(候補者五十音順)。
1月17日、全選考委員出席のもと選考会で討議を重ねた結果、川村毅さんのモノローグ劇「4 four」と、東憲司さんの炭鉱三部作最終章「泳ぐ機関車」が、甲乙つけがたく、南北賞初の二作同時受賞となりました。
第5回を迎えた「感想文コンクール」には、団体・個人1432件という多数のご応募をいただきました。ありがとうございます。
部門別の入賞が下記の方々に決まりました。
<中学生部門>
○最優秀賞 内田光咲さん(筑波大学附属中学校)『トム・ソーヤ―の冒険』
○優勝賞 図子菜津美さん(大妻中学校)『ヴェニスの商人』
○審査員特別賞 片岡路敏さん(暁星中学校)『車輪の下で』
○審査員奨励賞 稲田光さん(甲南中学校)『車輪の下で』
<高校生部門>
○最優秀賞 吉崎友貴さん(AICJ高等学校)『タイムマシン』
○優秀賞 福満梨那(豊島岡女子学園)『フランケンシュタイン』
○審査員特別賞 青山澄風さん(豊島岡女子学園)『変身/掟の前で 他2編』
○審査員奨励賞 天田大さん(武蔵高校)『地下室の手記』
<大学・一般部門>
○最優秀賞 朝守双葉さん『自由論』
○優秀賞 天野健二さん『闇の奥』
○審査員特別賞 村藤駿介さん『変身/掟の前で 他2編』
○審査員奨励賞 角田菜緒さん『トム・ソーヤ―の冒険』
詳しくは公式サイトをご覧ください。
皆川博子(みながわ ひろこ)
【受賞の言葉】
西條八十の古い詩を読んでいました。〈自分の鉋で削り/自分の鑿で刻み/自分の刷毛で塗った/この赤い仮面の恐ろしさよ、/工人は戦慄いてゐる。〉そうして八十はまた、別の詩で、懐かしい死者たちに語ります。〈懐から蒼白め、破れた蝶の死骸を取り出〉し、〈一生を子供のやうに、さみしく、これを追ってゐました〉と。
物心ついたときは、すでに物語の海に溺れていました。おぼつかない手つきで、自分でも紡ぐようになって、ふと気づいたら、四十年を経ていました。八十路に踏みいった生の半ば近くになります。踏み跡は葎に消え、創り出したものの中には、再読に耐えぬ醜いものもあり、そのとき、この大きい重い賞をいただくことになりました。これに勝る励ましがありましょうか。編集者、読者、本造りに関わる多くの方々に支えられてきたと、深く思いを致します。破れた蝶ではなく、私の手にあるのは〈シエラザード〉の像でした。
選考委員【講評】(50音順)
大沢在昌
ミステリを書く後輩として、皆川さんの活躍には、ただただ頭が下がる。デビュー四十周年を迎えられても、新たな世界への挑戦、美学へのこだわりには、驚嘆する他ない。
本当に皆川さんにしか書きえない作品世界には、ある種の孤高さすら感じ、さぞ厳しい執筆姿勢でのぞんでおられるにちがいないと畏れを感じていた。
受賞はむしろ遅すぎたほどだろう。失礼になるのではと心配したが、ご快諾いただいたと聞き、私はほっとした。
おめでとうございます。
権田萬治
皆川博子氏は、ミステリー、時代小説、幻想小説など多彩なジャンルの作品を手がけ、『壁 旅芝居殺人事件』で日本推理作家協会賞、時代小説の『恋紅』で直木賞を受賞するなど、これまでに数多くの賞を受賞している方である。
しかし、とくに『死の泉』(一九九七年)あたりから、海外を舞台にした独特の雰囲気を漂わせた大胆な着想のミステリーに力を入れ、上質の作品を次々と発表している。
最近は、若い世代の作品にも海外を舞台にする例は決して珍しくないが、氏の描き出す個性豊かな人間像と見事な構成力、そして舞台装置となる世界の幻想的な雰囲気は追随を許さないものがあると思う。
私はミステリーの謎解きの要素だけでなく、その小説的な魅力を重視する者だが、その意味で今回の受賞は、まさに大賞の趣旨にふさわしいと考える。これからもお元気で活躍されることを心からお祈りしたい。
西村京太郎
最近、男の作家は、ミステリーに向いていないのではないかと思うことが多い。男の作家(私だけかも知れないが)は、自分の作りあげた事件やトリックが面白くなって、それをこねくり回すので、出来あがった作品は、どうしても「驚天動地の事件に挑む」とか「千年かかっても解けぬトリック」という売り言葉になってしまう。こうなると、本来の小説の楽しみの半分は、消えてしまうのである。小説の中の、人間や、人生を見る楽しみである。その点、女性のミステリー作家は、しっかりと小説本来の楽しみを書き、それにミステリーの味をプラスしているので、読者は安心して読める。今回、日本ミステリー文学大賞に推された皆川博子さんは、そうした女性作家の代表選手と呼べる人である。何冊か読ませていただいたが、間違いなく、文学本来の楽しさと、ミステリーの面白さを同時に味わえる、今後のミステリーの王道を行くもので、もっとも大賞にふさわしいということが出来る。
森村誠一
皆川さんとは長いつき合いである。初めてお会いしたのは、たぶん私のデビュー当時、四十数年前と思う。
当時の日本推理作家協会会員二十数名が打ち揃って、科学警察研究所を見学に行ったとき、皆川さんがおられた。一行には山村正夫、大藪春彦、斎藤栄、藤村正太、松本孝、高原弘吉、福本和也、都筑道夫、井口泰子、石川喬司各位など、故人を含む錚々たるメンバーが参加していた。
そのとき同所構内で記念撮影した写真は、私の宝物となっている。だが、写真の中に私は写っていない。なぜなら、私が撮影者であったからである。
このメンバーの中で、かなりの方が鬼籍に入り、その後、皆川さんは小説現代新人賞、日本推理作家協会賞、直木賞などのグランプリを積み重ね、デビュー四十年を迎えたこの年、日本ミステリー文学大賞を受賞、創作意欲はますます盛んにして、超大作に挑んでいる。
衰えを知らぬ執筆意欲は、可能性の限界を追求する作家の宿命的な姿勢であり、もって範とすべき理念である。
皆川さんが開拓した幻想小説は、まさに青春の幻影そのものであり、幻影の中に人生の真実を刻む作風は、他の追随を許さない。
だが、皆川さんの青春は幻影ではなく、永遠の青春として、この道一筋の求道となっている。
皆川さんの受賞を心から寿ぎ、終わりなき夢の狩人として、ますます大きな花を開かせることを祈ります。
『ロスト・ケア』葉真中 顕(はまなか あき)
【受賞の言葉】
願わくは読む者の魂に届くような物語を書きたいと思い、執筆を始めた。現実の社会問題をモチーフに、普遍的な人の善悪愛憎の彼岸まで描くつもりで書き進めた。一文字ごとに筆力不足を思い知らされたが、せめて精一杯、自分の言葉をつむぐことに努めた。誰に頼まれたわけでなく自分の意志で書き始めたのだから、そのぶん書くという行為に真摯でありたいと思った。力不足なりにも持ち合わせたもの全て、最後の一滴まで搾りきるつもりで、パソコンのキーに叩きつけた。まだ見ぬ読者を思い描き、届け、届け、と物語を編んだ。
結果、賞を得ることができた。評価されたことは嬉しいし、選考に関わった方全てに感謝したい。とはいえ、まだスタート地点に立つことを許されたに過ぎないのも承知している。
私の拙い企みは、ここから先が本番だ。さあ、世に問おう。物語よ、届け。
選考委員【選評】(50音順)
綾辻行人
葉真中顕『ロスト・ケア』は掛け値なしの傑作である。選考会では全員の意見がすんなり一致して、この作品への授賞が決まった。
たいへん現代的な、なおかつ普遍性を持った大きな問題に真っ向から挑んだ、堂々たる社会派作品である。そうして同時に、大胆かつ周到な計算によって創り上げられた、非常に技巧的なミステリーでもある。全編を読みおえたのち、改めて序章を読み直してみることを強くお勧めする。
下手をすると素材やテーマの重さに押し潰されてしまいかねない物語なのだが、これを切れ味のある文体でテンポよく語っていく技術・バランス感覚は新人離れして絶妙。冒頭から強く引き込まれ、中盤もぐいぐいと読まされ、終盤は驚きと納得と感動の連続で……いやはや、まいりました。脱帽ものです。
日本ミステリー文学大賞新人賞の選考に携わるのは今回で四度目、僕はこれが最後のお務めになるのだが、最後にこのような傑作を選ぶことができて本当に嬉しく思う。三十代半ばの作者の、今後の活躍に大いに期待を寄せたい。
受賞は逸したが、夏みちる『ツバサ』も素敵な小説だった。ライトなSF設定を用いたファンタジックなサスペンスミステリーの秀作。いろいろ突っ込みどころはあるものの、全体として実に愉しい、読後感の良いエンタテインメントに仕上がっている。『ロスト・ケア』がなければ、この作品に授賞という結果もありえたかもしれない。
市川智洋『スパイダー ドリーム』と富原田りんね『ダブルムーンにくちづけを』は、先述の二作に比べるとあらゆる点で力不足と云わざるをえない。前者は現代ミステリーとしてはあまりにも凡庸で面白味に欠ける。後者については、そもそもミステリーの体をなしていないとも思えた。両者とも、もっと自覚的に読者を「もてなす」工夫と努力をされる必要があるのではないか。
近藤史恵
私が選考委員をした四年間で、いちばんレベルの高い年だったと感じる。
『ロスト・ケア』は書き出しでだいたいの構造は見えた気がして、少し冷めた気持ちで読み始めたのだが、見事に裏切られた。ミステリとしての構成のうまさ、事件解決への道筋、そして「介護」というデリケートな問題を扱う手つきの公正さに感嘆した。審査員満場一致で、受賞作とすることになった。
『ツバサ』は例年なら充分受賞レベルに達している作品で、ややお約束を踏襲しすぎるきらいはあるとはいえ、エピソードひとつひとつが印象的でひきこまれた。最終候補作の中で、いちばん読者として楽しめた作品である。『ロスト・ケア』とはミステリとしての構成力に差があり、同時受賞には至らなかったが、筆に魅力と勢いがあるというのはプロになる上で欠かせない資質である。この先も頑張ってほしい。
『スパイダー ドリーム』の筆者はこの賞の常連ではあり、真面目にミステリの形を創り上げているが、どうしても魅力に欠ける。例を挙げるならば、教授が殺されたのではないかと探偵役が疑問を抱く過程でも、もっと吸引力のある謎が提示できたはずである。毎年、成長が感じられるのは好ましいけれど、この先に行くのには、もっとプロの小説を研究した方がいいように思う。
『ダブルムーンにくちづけを』の作者はミステリの書き方自体、理解していないのではないだろうか。視点人物が知っていることをただ隠しているという構造では、読者を納得させることはできない。叙述トリックにするなら、もっと繊細な神経を使って書くべきことである。また、心理描写、雑貨などの描写も作者が力を入れているのはわかるが、どうも古くさいというか、手垢のついた印象があって楽しめない。おおもとのアイデアには吸引力があるが、もう少し丁寧に構成を考えて、描写をしてほしい。
今野 敏
『ダブルムーンにくちづけを』は、かなり読みづらく、わかりにくい作品だった。水をめぐる秘密が提示されており、それに興味を引かれたが、複雑な人間関係がわかりにくく、謎解きの後も腑に落ちた気がしない。
布石もそれなりに打ってあるのだが、それがあまり生きているとは思えない。名詞を句読点なしで並べたりと、文章もかなり乱暴な印象があった。
『スパイダー ドリーム』は、少ない手持ちの札を、出し惜しみしながら恐る恐る提示しているという印象だった。読者にとって必要のない描写や記述が多い。この作者は、何を書くべきで、何を書くべきでないかを理解していないようだ。
後半になり、さまざまなトリックが出てくるが、どれも陳腐で謎が解けたという快感がない。犯人の意外性もなく、主人公のモチベーションも感じられない。
この作者は、小説よりもノンフィクションのほうが向いているのではないかと思った。
受賞作となった『ロスト・ケア』は、文句なしの傑作。ミスリードを誘っていく構成が見事。なおかつ、叙述トリックにもなっている。ただ、介護を巡る状況など、情報がやや生噛みという印象があった。だが、それも大きな疵ではなかった。登場人物たちの前半の、きれい事とも思える発言が、後半次々と意味合いを変えていく構成の見事さには脱帽だ。
『ツバサ』は、ある意味、私が一番推した作品だった。読みはじめは、ちょっと少女趣味だし、鳥に感情移入などできないし、困ったな、と思っていた。だが、読み進むうちに、すっかり物語に引き込まれてしまった。これは、大きな才能だ。学ぼうと思っても学べるものではない。
この作者は、エピソードをうまく書くことができる。それが一番の強みだろう。今回は、受賞を逃したが、ぜひまたこの作者の作品を読んでみたいと思う。次回の応募を強く期待する。
藤田宜永
今回は満場一致で受賞作が決まった。私もいろいろな選考会を経験しているが極めて珍しいことである。
受賞作の『ロスト・ケア』は、文章力、ミステリとしての作り、筋の運び……とどれを取っても、他の作品を上回っていた。しかも、選考委員の褒めどころが微妙に違った。そこが、この作品の厚みを証明している。私は作者の批評精神に特に着目した。登場人物の意見や生き方を上手に対比しつつ、テーマを掘り下げることができたのは技術でなくて、作者の作品と向き合う姿勢だろう。こういう作品に出会えて私は非常に満足している。
次に点が高かったのは『ツバサ』である。鳥が擬人化された、教訓的おとぎ話で、その発想と、雰囲気を作り出す筆力を評価する選考委員がいたが、私は、謎解きの弱さと、ステレオタイプの人物像に違和感を持った。私も鳥が大好きな人間だからかもしれないが、鳥の鳥らしい描写がほしかった。しかし、次回の作に対する期待は高い。是非、もう一度、この作者のものを読みたいと思っている。
『ダブルムーンにくちづけを』は、床下の水槽に眠る骨という幻想的なイメージ、介護に疲れた人たちが毒水をほしがるというブラックユーモア的な設定は良かった。しかし、物語の運びと体言止めの多い文章には問題がある。日記の部分にはかなりの工夫が必要だったろう。
『スパイダー ドリーム』の作者の作品を読むのは、これで三度目である。毎回趣向が違っている。今回はオーソドックスな謎解き物の手法をきちんと押さえた、努力の跡が見られる作品だった。私は、その努力に対して得点を入れたが、他の選考委員の賛同を得られなかった。この作者には、自分の書きたいものにのめり込む根拠なき自信が必要なのかもしれない。それが書き手を天国に昇らせてもくれるし、地獄に突き落とすこともある。しかし、何であれ、焦点をしぼって思い切りスイングしてもらいたい。
雑誌での区分に時代性を加味した、『悪魔黙示録「新青年」一九三八』『「宝石」一九五〇牟家殺人事件』につづく、ミステリー文学資料館編によるアンソロジー。今回はいささか変化球ながら、より多くの読者に親しみやすいテーマをと趣向を凝らしました。
日本の国民食ともいうべき麺類、うどん、そば、ラーメン……をモチーフに、作者が腕によりをかけた逸品を、ぜひご賞味ください。あなたの読書欲だけでなく、食欲まで刺激できたらと念ずる次第です。収録作品は以下の通り──。
江戸川乱歩「口絵」、五代目古今亭志ん生「探偵うどん」、北森鴻「はじまりの物語」、大沢在昌「六本木・うどん」、山田正紀「麺とスープと殺人と」、石持浅海「夢のかけら 麺のかけら」、西村健「途上」、嵯峨島昭「ラーメン殺人事件」、梶尾真治「電気パルス聖餐」、村上元三「艶説鴨南蛮」、清水義範「きしめんの逆襲」
9月4日、予選会がおこなわれ、第16回「日本ミステリー文学大賞新人賞」候補作が決まりました。
予選委員は、円堂都司昭・香山二三郎・新保博久・千街晶之・細谷正充・山前譲・吉田伸子の7氏。候補作は下記4作品です(タイトル50音順)。
*なお、予選会に先立ち、応募総数166編のなかから、1次予選を通過した19作品は下記の通りです(応募到着順)。
【予選委員からの候補作選考コメント】
円堂都司昭
候補作のうち「ダブルムーンにくちづけを」と「ロスト・ケア」は、老人介護問題を扱っていた。また、二次予選段階では、それら二作以外に二作が老人介護をとりあげ、ほかにもう一作が寝たきり老人を登場させていた。過去には臓器移植を扱った応募作が多い年もあったし、特定のモチーフに集中してしまう年ごとの傾向というものはある。そうした競争のなかで勝ち残るには、書き手がモチーフと十分にむきあうことが必要になる。付け焼刃の知識ではなくよく理解すること、一般論ではなく自分なりの視点からとらえること、かといって奇をてらいすぎて話の中心を見失わないことが大切だろう。最終候補に残った作品には、そのような意味で優れたところがあった。
香山二三郎
昨年の予選評で他の新人賞への「既応募作品はそれだけで大きな減点となりやすい」と書いたが、相変わらずその手のダブりものが目についた。残念! 残った四篇のうち二篇が介護問題を扱っていた。このテーマは今後も増えそうなので、安易に取り上げないのが吉かと。これまで扱われてこなかった題材はそれだけで一飜(イーハン)アップ、新鮮なネタを期待しています。他の作品では、印刷会社のOLが天才ゲーム作家とともに拉致監禁され人体の3D映像を作らされる『神の筐体』、一匹狼型の広告マンが富豪のトラブルに巻き込まれる『モントークの少女』、アジアの各都市で子供が〃豚顔皮〃を被せられて殺される事件が起きる『ポーキンヘッズ/Porkin'Heads』、藤原定家が美男の僧侶と摂政の死の謎を追う『定家「雨月記」異聞 六歌仙の呪い』に惹かれたが、いずれも設定や展開、文体等について強い反対意見があって推しきれなかった。
新保博久
残念ながら今回は低調だった。最初あてがわれた応募作群を卒読したさい、他の選考委員はもっとヒキが強いことを期待した。しかし、そういう見込みは薄いと経験的に知っている。他からの推薦作を読むと案の定。受賞に価する一作があればそれでいいのだが、裾野が豊かでない時には頂上も低いとは、これまた経験の教えるところ。幸い、これぞという作品が一つあり、もちろん最終候補に残っているが、さて結果は?
今回の最終候補には新顔が多い。例年、応募してくれているのに今年見かけなかった実力派諸氏など、せっかくのチャンスを逃したのではないか。もちろんそれが、他賞への過去の応募作の仕立て直しであったりすると、複数の賞で兼任している多くの予選委員の目を免れるものでなく、新鮮味の欠如が減点される要因になりかねない。幸運の女神の前髪をつかむのに必要なのは運だけでないのである。
千街晶之
今回は予選委員の評価がおおむね高かった作品から極端に賛否両論分かれた作品まで、四作が候補に残った。世相を反映してか老人問題を扱った応募作が多かったが、まとまりの良さと衝撃度で『ロスト・ケア』が一馬身抜けていた。テーマの扱いの危うさを指摘する意見もあったが、むしろその危うい部分にまで踏み込んだ点を評価したい。『ツバサ』は動物パニックものとミステリーを上手く合体させているが、これほどの騒ぎなら警察はもっと大勢の人員を投入するのではないかという点は気になった。『スパイダー ドリーム』は常連応募者の作品だけあって技術点はそれなりに高いものの無駄な描写が多い。規定枚数ぎりぎりに書く必要は全くないので、削るべき部分は削ってほしい。賛否両論の問題作『ダブルムーンにくちづけを』だが、私はこの作品を支持する。ミステリーとして強引ではあるのだが、独特の文体が不自然さを中和していると感じた。
細谷正充
二重投稿は絶対にやってはいけないが、他の新人賞で落ちた作品を別の新人賞に投稿する〝原稿のたらい回し〟も、できれば止めた方がいいです。プロの作家になろうというのなら、いつまでもひとつの作品にこだわるのはマイナスです。また、応募規程ぎりぎりの枚数の場合、完成後のチェックは厳重にしてください。ちょっとした勘違いや数え間違いで、枚数オーバー(もしくは足りない)の危険性があるからです。
山前譲
今回は他賞の選考で読んだ作品が少なくてホッとした(皆無ではない)。しかし、全体的なレベルは、ちょっと物足りなかった。ミステリー云々以前に、主人公に魅力がなく、無駄な会話のやりとりでテンポを悪くしている作品が多い。ミステリー的には、「視点」の吟味が不十分で、アンフェアな作品が目立った。栁沼庸介『愚者の選択』は企業ミステリーとして面白かったのだが、やはり冒頭のシーンは完全にフェアとは言いがたい。真霧翔『盗まれた拳銃』は、昨年の応募作とはがらっと作風を変えていて、荒削りながらもパワーを感じた。来年に期待したい。篠綾子『定家「雨月記」異聞 六歌仙の呪い』はいいテーマなのだが、作品のトーンがちょっと現代的。古典の雰囲気をもっと出すことができたなら……残念だった。何もこの賞に限らないことだが、ペンネームとタイトルにはもっと注意したほうがいいだろう。可愛い我が子を世に送り出すためには。
吉田伸子
応募者のみなさま、お疲れさまでした。残念ながら最終選考に至らなかった方々も、諦めずに書き続けてください。「新しいミステリ」は、みなさまの中にこそあるからです。
いわゆる「二重投稿」はありませんでしたが、「使い回し」の作品は今年も見受けられました。思い入れの深い作品なのでしょうが、ある賞で駄目だったら見切りを付けて、新しい作品で挑戦されたほうが後々実になるはず。プロデビューしたら、ネタがないとか言ってられません。その準備だと思って、「新作」で勝負してもらえればと思います。
日本の本格推理を代表する作家として、数々の傑作で読者を魅了した鮎川哲也が、卒然とこの世を去ったのは、2002年9月24日のことだった。
1956年に刊行された、鮎川哲也名義の第一作となる『黒いトランク』以下、本格推理一筋のその業績については、あらためて語るまでもない。今なお、読者の熱い支持を受けている。また、生前私淑した作家たちの、そして鮎川哲也がデビューの手助けをした作家たちの、活躍には目を見張るものがある。
当資料館においては、すでに2001年、「鮎川哲也の世界展」を開催しているが、没後10年にあたって企画した今回は、所蔵の資料のなかから、鮎川哲也の作家活動を多面的に捉えてみた。
意欲的に取り組んだ年少者向け推理小説、NHKテレビ『私だけが知っている』ほかテレビやラジオの脚本執筆、『幻影城』や『EQ』で創作以上に没頭した幻の探偵作家の探索、そして光文社文庫『本格推理』での新人発掘に向けられた熱意と、未公開資料を中心に展示する。
また、プライベイトや取材旅行中のスナップなど、写真嫌いと言われていた鮎川哲也の在りし日の姿を、多数の写真パネルで振り返ってみた。
十年という年月は、けっして短い時間ではない。ともすれば逝った作家は、忘却の彼方に消え去ってしまうが、鮎川哲也は今なお、まばゆいばかりの光を放っている。
*お詫びと訂正
「ミステリー文学資料館ニュース」第25号4面「没後10年 知られざる鮎川哲也展」告知の中で、日本探偵作家クラブ賞のトロフィーを、「(エドガー・アラン・)ポー像」とすべきところ、「コナン・ドイル像」と誤記してしまいました。
ここにお詫びのうえ、訂正させていただきます。
光文文化財団では、「読書振興のために必要な文化事業」として、光文社古典新訳文庫「感想文コンクール」を主催しております。
その第5回 「感想文コンクール」2012の募集が始まりました。
中学生部門、高校生部門、大学生・一般部門それぞれに対象図書が厳選されています。
1作品につき、400字詰め原稿用紙5枚以内(大学生・一般部門は10枚まで可)。
締め切りは9月24日(月)必着。
入賞発表は12月中旬。コンクールウェブサイトおよび「朝日中学生ウイークリー」紙上。
最優秀賞1名(賞状、3万円相当の図書カード)
優秀賞1名(賞状、2万円相当の図書カード)
審査員特別賞1名(賞状、1万円相当の図書カード)
*以上各部門共通
学校協力賞10校(コンクール対象図書21冊セット)
参加賞(応募者全員に特製クリアファイル、ただしお一人様一点)
雑誌での区分に時代性を加味した新アンソロジー、さきに刊行した『悪魔黙示録「新青年」一九三八』につづく、第2弾をお届けします。
本書で注目したのは1950(昭和25)年の「宝石」です。終戦直後、「ロック」「ぷろふぃる」「黒猫」「新探偵小説」「真珠」「妖奇」といった探偵雑誌が相次いで創刊されたブームのなか、その中心にあったのが1946年創刊の「宝石」でした。ここで取り上げる1950年には賞金総額百万円というセンセーショナルな懸賞小説の入選者発表があり、話題を呼びました。また、「抜打座談会」を巡って、本格派と文学派の探偵小説観の違いがはっきりした年でもあります。はたして、どんな傑作が書かれていったのか。存分にお楽しみください。
収録作品は「牟家殺人事件」魔子鬼一、「『抜打座談会』を評す」江戸川乱歩、「信天翁通信」木々高太郎、「首吊り道成寺」宮原龍雄、「四桂」岡沢孝雄、「贋造犯人」椿八郎、「妖奇の鯉魚」岡田鯱彦です。
解説は山前譲。巻末資料として、1949~51年の「世相と探偵小説の動向」を年表にまとめました。ぜひ、ご一読ください。
年配の人々には笹沢左保といえば木枯し紋次郎の生みの親、というのが最も通じやすいだろう。だが紋次郎シリーズの原作を読めば、一編一編が巧妙な時代ミステリーになっていると分かるように、紋次郎は生涯にわたって推理小説のさまざまな実験を試みつづけた著者の、数多い成果の一つにすぎない。
デビュー長編『招かれざる客』は純正無比な本格推理だったが、ほどなく女性好みのロマンティックな雰囲気を盛り込み、推理とロマンの完全な融合を果たした『人喰い』で日本探偵作家クラブ賞を受賞した。四半世紀後の綾辻行人らとは違う意味で、これこそ「新本格」と呼ばれたものだ。眠らないために立って執筆するという伝説さえ生まれた人気に安住することなく、短編「六本木心中」では恋愛と事件との組み合わせで新鮮な衝撃を与え、さらにクールな都会人を股旅の世界に持ち込んだ紋次郎で一世を風靡した。
それからも推理小説で前例のない試みに挑戦しつづける姿勢は終生、変わることなく、『他殺岬』前後から重心を現代推理に戻し、極限的官能推理『悪魔の部屋』や、登場人物2人の会話だけで全編を通す野心的実験作『同行者(悪魔の道連れ)』、新キャラクターのタクシードライバー夜明日出夫、取調室シリーズの水木警部補の創造……。
最後の目標四百冊には惜しくも届かなかったが、生涯現役を貫いた稀有のミステリー作家であった。単に数を誇るのでなく、冊数をみずから課しながらマンネリを禁じ、量を質に転換させてきた。その豊穣多彩な小説世界を片鱗でも実感していただきたい。
二年ほど前に刊行された文庫版『高橋克彦自選短編集』(全3巻)が、それぞれ「ミステリー」「恐怖小説」「時代小説」とテーマ別になっているように、その三つが作家を支える鼎の脚である。『写楽殺人事件』で彗星のごとく登場した著者だが、以来30年、百冊を優に越える著作のなかで、狭義の推理小説は必ずしも多くない。ミステリーも本格推理はもとより、直木賞受賞の甘美で哀切な記憶シリーズ、時代小説でも伝奇ものから市井もの、また歴史小説と多岐にわたり、業績を一望のもとに見渡すのは難しいはずだ。あらかじめ着地点の決まっている推理小説を書くのは楽しくないそうだが、どの小説にも謎があり、解決に終わる(時に、作者も予想しなかった解決を含めて)という意味では、全小説がミステリーであるともいえよう。ことさら意図しなくとも、ミステリーを愛し、発現する精神は作家に奥深く宿っている。日本ミステリー文学大賞にふさわしい所以だ。
同時に高橋克彦の作品には、東北人の気骨が隠れもない。東北といえば昨2011年、未曽有の災害に見舞われたものの、必ずや復興し、かつて以上の繁栄に至るのは疑いない。高橋氏の領域の幅広さ、旺盛な好奇心の発露が象徴している逞しさがまた、彼の地の復興を確信させるのだ。
本展では高橋氏の多彩な趣味、ひとつ所に留まらない意欲が、実際に作品に結実していったプロセスを読み取っていただきたい。そのためのヒントは、ささやかなスペースに可能なかぎり開陳したつもりである。蠱惑に満ちた高橋版「みちのく迷宮」を踏破する鍵は、あなた自身が書店で見つけられるだろう。
SF、ホラー、歴史小説など多ジャンルにわたる傑作を生み続けてきた著者の根底には、やはり大いなるミステリー愛があった。
自選短編六編+解説・評論・エッセイ・インタビューから、その「ミステリー観」が浮かび上がる。
『みちのく迷宮 高橋克彦のミステリー世界』
高橋克彦
昨年の第14回に続き、今回も2作同時受賞となりました。
贈呈式・祝賀会は3月15日「東京會舘」にておこなわれます。
異色のハードボイルドとクライム・サスペンス、タイプの異なる二つの世界をお楽しみください。光文社刊、定価は共に1600円+税。
『茉莉花 サンパギータ』(「サンパギータ」改題)
川中大樹(かわなか・ひろき)
――もう泣かせはしない。絶対に。大切な女の笑顔のために。家族のために。男は危険をかえりみず、友の死の真相を追う(オビより)
『クリーピー』(「CREEPY」改題)
前川 裕(まえかわ・ゆたか)
――隣に住んでいます。ずっと見ています。あなたを。現役大学教授が該博な知識とイマジネーションを駆使して描く、身の毛がよだつクライム・サスペンス(オビより)
第4回を迎えた「光文社古典新訳文庫感想文コンクール」。今年も860通を上回るご応募をいただきました。第1回では中学生だった方が、高校生になった今年まで毎年応募してくださったりと、すっかり定着した感があり、主催者として大変うれしく思います。
厳正な1次審査、2次審査を通過したのは各部門10作品(大学生・一般部門は8作品)。11月15日に光文社で開催された最終審査で、5名の審査員が、議論を重ねて選考いたしました。文章、内容ともに素晴らしいと評価が一致した作品、新たな文学の読み方を模索するような作品、古典に対する思いに満ちた作品……。2時間にわたる討議の末、各部門で「最優秀賞」「優秀賞」「審査員特別賞」が選ばれました。さらに今年は「光文文化財団特別賞」を新設。毎年レベルの高い作品を送ってくださった高校生に贈られました。
詳しくは公式サイトをご覧ください。
【受賞の言葉】
高橋克彦(たかはし かつひこ)
私の暮らす東北を襲った三月十一日の大震災。それ以来、心の弾むことの少ない私にとって、まさに神様からの贈り物のごとく嬉しい授賞の知らせだった。
この賞の大きさはもちろん承知していて、と同時に自分には縁のない賞とも認識していたので、知らせを受けたときは驚きより、狐につままれた思いの方が強かった。なにしろ私は本格ミステリーから近頃だいぶ離れている。すべての物語を牽引するのは謎である、との信念は貫いているつもりで、自身はミステリー作家であり続けているという気持ちはあるが、私に対する大方の印象は歴史小説や時代小説の作家の方が強いに違いない。この賞を頂戴できる立場にないし、望めば笑われる。それが現実となった今、離れないのはミステリーに全身全霊で取り組んでいる多くの仲間たちへの申し訳なさである。本当に自分などでいいのだろうか。この賞の歴史に名を連ねている先輩方の紛れもない業績を思うにつけ、身が縮む思いだ。
こうなったからには賞の名誉を汚さぬよう、さらに頑張らなくてはならない。
【講 評】
大沢在昌
若輩ながら、本年度より選考会の末席に加えていただくことになった。正直、まだ私には荷が重いとの気持を抱いて臨んだが、あっけないほど簡単に受賞者は高橋さんに決まった。つまり満票だったのである。
高橋さんは盛岡に住まわれながらも、旺盛な執筆活動をされ、かつては「雨の会」という若手ミステリー作家の中心的存在であった。その後も「みちのく国際ミステリー映画祭」、今は「盛岡文士劇」と、東北発信の文化事業の牽引車の役割を果たしておられる。
推理、伝奇、怪談、歴史と、そのジャンルは広いが、東北人作家の立ち位置に揺らぎはない。
震災で大きな衝撃に見舞われ、一時は書くことへの迷いを初めて感じておられたようだが、今は、復興の一助にならんと、執筆を再開された。
まさにその高橋克彦さんこそ、日本ミステリー文学大賞にふさわしい。
おめでとうございます。
権田萬治
高橋克彦氏は浮世絵に関する豊かな知識を生かした『写楽殺人事件』(1983年)で江戸川乱歩賞を受賞。さらに、伝奇SF『総門谷』(85年)で吉川英治文学新人賞を受賞してからは、さまざまなSF的な作品で活躍したが、やがてホラーの連作短編集『緋い記憶』で92年に直木賞を受賞している。
この受賞により、ポー以来、戦前の日本でも怪奇幻想小説として探偵小説の流れに位置づけられていたホラーが戦後初めて広く文壇的に認知されたわけで、その意義は大きい。
以後、氏は時代小説の分野でNHKの大河ドラマの原作の執筆をはじめ数多くの作品を残しているが、美術界の該博な知識を取り入れた美術ミステリーやホラーなど、ミステリーが氏の多彩な作家活動の中核となっていることは明らかで、まさに大賞を受賞するにふさわしい作家である。
受賞を機に、お住まいの東北から優れた作品を続々と発信してくださることを心から期待したい。
西村京太郎
高橋克彦さん、おめでとうございます。私が初めて高橋さんの小説を読んだのは、28年も前になります。昭和58年に高橋さんが『写楽殺人事件』で、乱歩賞に応募された時、私は審査員の一人で、その構成力と文章の上手さに驚いたものです。原稿が百枚を過ぎても殺人事件が起きないのに、ハラハラさせて読ませてしまうその力にです。
最近は、愛読者の立場で読ませて頂いていますが、時代小説で、いきなり柳生十兵衛が出てきたり、若き日の幡随院長兵衛が出てきて、びっくりしています。この小説の中で、主人公が高僧の指示で動いているというので、これは天海に違いないと思ったり、そのものぴったりで思わず喝采を叫びました。
28年前にはその若さあふれる筆力に感心し、今はその自由自在さに驚いています。今は何を書いても小説になってしまうのではありませんか。うらやましい限りです。
森村誠一
高橋克彦氏の受賞を心から喜んでいる。東北に拠点を構えて、中央を圧倒する求心力となっているのが高橋克彦氏である。担当編集者に、小説を書きたいとおもったら十年待てと言われて、正直に十年、満を持して蓄えたエネルギーは、まさに東北人の底力である。
浮世絵の研究を結実させた『写楽殺人事件』でデビュー以来の氏の活躍ぶりは、瞠目的であり、『炎立つ』で全国を席巻した。
創作領域は文芸に留まらず、みちのく国際ミステリー映画祭を主催し、文士劇を東京から盛岡へ引っ張っていってしまった。高橋氏に引かれて、盛岡詣でをした作家は数知れない。
それでいながら、自らの存在を目立たぬように、パーティーではいつも隅のほうに隠れているような謙虚な人柄は、作家仲間だけではなく、だれからも好かれている。
東北地方を襲った未曾有の大震災にもめげず、東北の精神の再建の中心的存在としてますますの活躍は疑いない。高橋氏の受賞は、これまでの貢献の当然の結果であり、甚大なダメージにもめげず、再建に向かって不屈の努力を重ねている東北人の意気を示すものであろう。高橋さんの受賞は、東北の精華の一つでもある。
【受賞の言葉】
川中大樹(かわなか ひろき)
初めて小説を書いたのは三十代半ばのとき。クスブリのままでは終われないと勝負をかけるべく目指したのが「小説家になる」ことでした。もともと文章を書くことは好きでしたし、それで食べていた時期もあったので、いっちょ本格的にやってみようか、と。決意したのは飲んだくれて朝帰りするさなかだったと記憶しています。したがって、酔った勢いで、というのも否めません。
ともあれ、執筆はその日からはじめました。人知れずパソコンに向かい、作品を仕上げては賞に応募する。創作がライフワークとなるのに、そう時間はかかりませんでした。そして「三年挑戦してダメだったら諦める」という当初の誓いも忘れてズルズルと……。
そんなしぶとさが奏功したのか、今回ようやく受賞にいたりました。ですが本当のチャレンジはこれから。いただいたチャンスを活かし、さらなる高みを目指すためにも、気概をもって書き続けていきたいですね。
前川 裕(まえかわ ゆたか)
還暦を迎えて最終候補に残った今回が、最後のチャンスだと思っていました。奇妙な言い方ですが、受賞するより、最終候補に残る方が難しいというのが私の実感です。大学に勤めながら書いてきたため、毎年の応募というわけには行きませんでした。しかし、小説を書くことを片手間の仕事と考えたことは一度もありません。アカデミズムの世界とは、異質な才能が要求される分野であることも十分に知っているつもりです。その厚い壁を突き抜けることが私の長年の夢でした。電話の前で受賞の知らせを待つ緊張感は、苦痛なものです。しかし、「おめでとうございます」という声を聞いたときの喜びはまた格別です。あの喜びの瞬間を忘れることなく、私は還暦の新人として書き続けていこうと思います。
四人の選考委員の先生方に心から感謝いたします。また、私を応援し、受賞を喜んでくれた、友人、同僚、それから過去・現在の私の学生たちにも、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。
【選 評】
綾辻行人
前川裕『CREEPY』に最もミステリーとしての魅力を感じた。
序盤はまず、現代の都市生活における「実像の見えない隣人」の不気味さ・怖さがうまく描かれている。離れた「点」として存在していた複数の出来事が寄り集まり、繋がってひとつの事件が見えてくる過程も面白い。主人公の造形等にちょっと首を傾げつつも、展開を予測できない気味の悪い物語にずるずると引き込まれていた。前半では小説として少々ぎこちなく思えた文章も後半に入ると安定してきて、ことに「十年後」のクライマックスでは、それが大変に美しく静謐なシーンを描き出すに至る。謎解き小説としての結構も候補作中いちばんしっかりしていて、意表を衝かれる部分も多々あった。いくつかの問題点に改良の手を加えたうえで、ぜひ世に問うてほしい作品である。
川中大樹『サンパギータ』。達者な文章で愉しくテンポよく読ませる。のだが、探偵役を務める主人公のヤクザとその仲間たちがあまりにも「善き市民」でありすぎて、どうしても「これでいいのか?」と疑問を感じてしまった。ところが、選考会で今野敏さんが「この小説はファンタジーとして読むべし」と熱っぽく主張されるのを聞いて、だったらこれもありか、と思った次第。ミステリー的な強度に物足りなさはあるものの、書ける人であることは間違いない。
戸南浩平『BALANCE』と市川智洋『伏流水』については残念ながら、積極的に推せる美点を見出せなかった。前者はこういったクライムサスペンスを三人称多視点で描く場合に陥りがちな「つまらなさ」に対して無自覚なのが、最大の難点。後者はひと昔前の社会派推理のようなテイストの作品だが、民生委員の主人公が追いかける事件の真相に目新しさがなく、面白味に欠ける。
真摯な議論の末、『CREEPY』と『サンパギータ』二作への授賞が決まったが、これは妥当な結果であると思う。
近藤史恵
まず六〇〇枚も必要ないアイデアなのに、規定枚数ぎりぎりまで書いてしまっているせいで完成度を下げているものが非常に多い。書かなくてはならないことと、必要ないことを見極めることが構成の第一歩だと思う。
『BALANCE』の作者はこの賞の常連だが、この小説には読者を牽引するものがなにもない。多視点のせいで引きつける謎もなく、描かれている狂気も嘘っぽいのに、内容の不快さだけが強い。もっと軽やかな小説の方が、この作者には向いているのではないか。
『伏流水』はまさに三五〇枚くらいで書くべき小説だった。戸田のパートはまったく必要ない。民生委員という主人公から見た世界は丁寧に書けているし、文章も前回と比べて格段にいい。ただ、あまりに小さくまとめすぎている。もう一歩、読者を遠いところに連れて行ってくれる翼が欲しかった。
『サンパギータ』はわたしには魅力を感じられない小説だった。ヤクザなのにアウトローらしさのない主人公。女性キャラは男に都合のいい人形でしかない。だが、たしかに六〇〇枚をひとつの視点で書ききる筆力はあるし、ぐいぐい読ませる力はある。「これは男性向けファンタジーである」という理解をするならば、受賞作にすることに強固に反対するつもりはない。だが、できればせめてハードボイルド的な世界を描くときに、ある種の含羞というものを忘れてほしくはないと思う。
『CREEPY』はタイトル通り薄気味の悪い小説である。文章も正直、上手いというわけではない。ただ、提示された謎のおもしろさや、主人公が遭遇する出来事の怖さが、うまく噛み合い、読んでいていちばん楽しめた。読者の予想を、少しずつ裏切っていく展開もよく、思いもかけない決着には驚かされた。ミスタイプが多いことや、不必要な性描写など欠点はあるが、候補作の中ではいちばん魅力を感じた。
結果、この二作の同時受賞ということで、同意した。
今野 敏
応募作四編を読んで、まず感じたことは、書きすぎの傾向があるということだ。プロの作家は、書くことよりも、書かないことの大切さを学ばなければならない。それがわからないということは、すなわち才能がないということだ。冷酷な言い方だと思われるかもしれないが、それがプロというものだ。
受賞作『サンパギータ』は、文章が読みやすく、登場人物同士の関係性をうまく書けている。暴力団員が主人公ということで、どうかと思ったが、リーダビリティーもあり、受賞作に推そうと決めた。今後は、こじんまりと話をまとめるのではなく、揺れ幅の大きな作品を目指してほしい。
もう一つの受賞作である『CREEPY』は、実は、私の評価は低かった。長い長い序章の後に、十年後、ようやく物語が始まったと感じて、小説としての体を成していないと思っていた。だが、他の選考委員の意見を聞いているうちに、これは私が、本格推理小説や新本格推理小説に馴染みがないせいだということがわかってきた。
綾辻行人さんが特に、この作品を推しており、それならば、と納得した次第だ。
八年前に起きた事件と同じ構造の事件が、自宅を含めた近所に存在している、というアイディアそのものは秀逸だと感じた。
『BALANCE』は、全体に過剰な描写が気になった。人質の小指切断は、あまりに悪趣味。誘拐事件の切迫した雰囲気がまったく伝わってこない。視点の乱れもある。この内容なら、視点をもっと整理して四百枚くらいでもよかったように思う。
『伏流水』は、文章そのものは読みやすかった。ただ人物造詣に特徴がなく平坦なために、物語が活き活きと動いてこない。麻薬の売人や「男」の視点はまったく不要。売人の戸田の視点があるため、謎にするべき事柄が謎でなくなっている。また、内容が乏しいのにそれをことさらに隠そうとするから、物語がなかなか進行しないような印象がある。
藤田宜永
これまでもいくつかの選考委員をやってきたし、今もやっているが、今回ほど票が錯綜して割れた選考会はなかった。選考委員の小説観の違いが如実に表れ、或る意味で面白い会になった。戸南さんの『BALANCE』の設定には無理はあるが、着想を上手に展開させれば説得力のある作品に仕上がっただろう。誘拐された女子高校生が解放された後の言動はあまりにも明るすぎる。こういうスーパー少女はアニメやライトノベルではあり得るのかもしれないが。市川さんの『伏流水』は主人公が女性の民生委員だから地味なお話だが、丁寧に書き込まれていて好感を持った。男性が女性の視点で書くのはとても難しいのだが違和感は感じなかった。しかし、ミステリーという観点から見ると、アルバム等々の手がかりの提出の仕方が性急すぎるし、ミスディレクションのやり方にも不満が残った。“男は……”という多視点の使い方は安直すぎる。せっかく女性の民生委員を主人公にしたのだから、彼女の周りに犯人らしき人間を配置し、真犯人ももっと登場させ、読者を迷わせるオーソドックスなサスペンスに仕上げる方がよかった気がする。しかし、市川さんには潜在能力があるように思える。今後の作品に期待したい。受賞作のうち、前川さんの『CREEPY』は、アイデアを強く推す選考委員がいた。確かにその通りだが、構成にもっと工夫が欲しいと思った。特に前半は説明的すぎる気がする。教え子の女子大生とのセックスシーンは不用だから、本になる前に削るべき。これは選考委員全員の意見である。もうひとつの受賞作、川中さんの『サンパギータ』は、ヤクザの親分が主人公だが、市民社会風ヤクザというか、すこぶる健全な御仁で、いささか非現実。もっとユーモラスに作るか、主人公を組長ではなく、闇の世界の周辺にいる人間にしても成立したのではないか。友人の死を巡る謎から、大きな謎が解き明かされていくのだが、その間の折り込み方に不満を感じたが、愉しく読めた作品である。川中さんは文章のセンスがありそうなので、この賞をきっかけにしてどんどん書いてもらいたい。
最後に一言、規定枚数ぎりぎりまで書く必要はない。そのせいで息切れするぐらいならその半分でもかまわない。自分の作品の寸法を測ることも作家には必要である。
10月24日「新橋第一ホテル東京」において、第15回「日本ミステリー文学大賞」「日本ミステリー文学大賞新人賞」の選考会がおこなわれ、下記のとおり、授賞が決定しました。
なお、選考委員による講評・選評は、「小説宝石」12月号(11月22日発売)及び当ホームページに、後日掲載します。
第15回「日本ミステリー文学大賞」
高橋 克彦(たかはし かつひこ)
*正賞 シエラザード像/副賞 300万円
第15回「日本ミステリー文学大賞新人賞」
『CREEPY』(クリーピー) 前川 裕(まえかわ ゆたか)
『サンパギータ』 川中 大樹(かわなか ひろき)
*正賞 シエラザード像/副賞 各250万円
新人賞は昨年に続き、2作同時受賞でした。
贈呈式は「鶴屋南北戯曲賞」とあわせ、2012年3月15日「東京會舘」にておこなわれます。
9月2日の予選会で第15回「日本ミステリー文学大賞新人賞」候補作が決まりました。
予選委員は、円堂都司昭・香山二三郎・新保博久・千街晶之・細谷正充・山前譲・吉田伸子の7氏。候補作は下記4作品です(タイトル50音順)。
なお、予選会に先立ち、応募総数157編のなかから、1次予選を通過した20作品は下記の通りです(応募到着順)。
【予選委員からの候補作選考コメント】
円堂都司昭
『BALANCE』、『伏流水』は前回も最終候補に残った人たちの作品であり、選評で指摘された点を踏まえ路線を修正してきた。予選を勝ち抜いて当然の筆力だろう。やはり応募経験者による『サンパギータ』、『CREEPY』も粗さはあるにせよ、読ませる勢いがあった。
それ以外で魅力を感じたのは『モンロースマイル』。一家消失に関し、周囲が不審に思ってもあまり騒がない点に現代的リアリティがあった。だが、用意された真相がいかにも机上の空論だったのは残念。設定や謎は面白いのに、結末のつけかたが強引か早足という例は多い。物語後半の構成に力を入れてほしい。
また、過去の投稿作を様々な賞に応募し直す人が目立つ。本人は大幅に修正したつもりかもしれないが、他人が読めば特に良くなっていないものが大半だ。今年起きた大震災への言及を数行加えたからといって、過去の原稿が大化けするなんてことはない。新人賞に対しては、怠けず新作を応募してほしい。
香山二三郎
残った四篇は最終候補経験者ばかり。新鮮さには欠けるものの、他の作品と比べると語りも構成もやはり頭ひとつ抜けているんだから仕様がない。ただし残った四篇も“なりすまし”テーマのクライムサスペンスだったり、ノワールタッチの復讐活劇だったり、ちょっと似ているところがあったりする。次回応募する人は、基本作法をきっちり押さえたうえで前代未聞のアイデアを練り込んだ野心作に挑んでほしいと思う。
他の作品では、連城三紀彦タッチの多重誘拐サスペンス『無邪気な阿修羅』と、表題のレストランを舞台にした“日常の謎”系の連作もの『土曜日はチボリ』が印象に残ったが、いずれも後半の構成に難があった。それと今回は、他の新人賞に落ちたものに手を加えて再応募しましたという態の作品が目についた。オリジナリティは審査に際して重要な基準のひとつ、既応募作品はそれだけで大きな減点となりやすいので、ご用心。
新保博久
一次予選通過作のなかにすら小説未満と思われるものが二編もあって、全体の水準が心配されたが、最終候補作のレベルは低くないだろう。とはいうものの、候補作四編のなかにも、個人的には容認しがたい一編があるのだが……。簡明に表現すればいいところ、妙に難しい熟語を使いたがり、しかも板についてないのだ。他の委員の評価は高かったので、私の偏見かもしれない。予選といえども、選考委員自身もまた応募作に審査されるというのは真理なのだ。
最終に残らなかった作品では、金沢整二氏の「モンロースマイル」に惹かれた。ごてごてと事件を複雑にしたがる応募作が多いなか、幽霊船メアリ・セレスト号ふうのシンプルな謎一本で押し通すのが潔い。ただ、その謎解きが万全とはいえず、他の新人賞の予選で同作を何度も読まされて新鮮味を感じなくなっていたらしい委員を説得できなかった。
千街晶之
最終選考に残った四篇すべてが、以前もこの賞に応募した方の作品という結果になった。市川智洋氏の『伏流水』は一番古株の常連らしい手慣れた作品だが、もっと無駄な描写を削れるはず。『BALANCE』の戸南浩平氏は昨年の応募作に較べると、この人ならではの個性が乏しい気がして採点を低めにしたけれども、私以外の予選委員の評価が軒並み高かったことを思えば、これくらいアクの強さを抑制したほうがこの人の場合はいいのかも知れない。前川裕氏の『CREEPY』は、今までの応募作の中では最も上出来だが、主人公こそ違えど過去の応募作と似通った印象の作品なので、「異なったタイプの小説を書けるのだろうか」という危惧もないではない。川中大樹氏の『サンパギータ』は、新味はないがリーダビリティの高さは抜群。惜しくも最終に残れなかった作品では、土方日光氏『詭道』の凝った試みを評価したい。
細谷正充
今回もっとも気になったのは、既応募作品の多さだった。他の新人賞で落選した作品が、こちらに送られてきているのである。二重投稿ではないので問題はないが、あまりの数の多さに、いささかげんなりした。まあ、自分の書き上げた作品に愛着があるのは当然だし、何らかの事情があって落ちたと思いたくなる気持ちは分からないではない。事実、ひとりの下読みに良作が集中し、いつもなら一次を通過するレベルの作品を、泣く泣く落とすということも、ないわけではないのだ。だから、落選した作品を別の新人賞に送ることを、一概に否定しようとは思わない。
でも、できれば新作を応募してほしいものだ。長い目で見れば、それは応募者自身のためになる。だって作家になったら、常に新しい作品を書き続けなければならないのだから。
山前譲
ストーリーやアイデアでの新人らしい清新さと同時に、既刊作品と同等の文章力を求められるのが新人賞である。そのハードルはかなり高いはず……なのだが、小説をまったく読んだことがないような、粗雑な作品が回ってくると、残念だなあと思うしかない。
ましてや、以前、他の新人賞の予選で読んだ作品に出会うと、がっかりしてしまう。新しい作品でチャレンジしてもらいたいと、嘆息するしかないのである。
これは個人的な見解だが、過去を舞台とするには、相当な必然性が必要ではないだろうか。必然性もなく十年ぐらい前を舞台にしてあると、「いったい、いつ書いた作品?」と、大いなる疑問を抱いてしまうのだ。
とはいえ、小説としてはメチャクチャだと思いながらも、愛着を覚えてしまう作品がないわけではない。今回は『詭道』にちょっと未練があった。およそ現実的ではない舞台設定で、高得点はつけられないが、探偵役を含めたいくつかのキャラクターは魅力的だった。来年も応募してね、もちろん「新作」で。
吉田伸子
まず最初に、応募してくださったみなさま、お疲れさまでした。今回、二次選考に残った作品には、他賞への既応募作が複数ありました。思い入れのある作品なのだとは思いますが、新人賞への応募作なのですから、一度応募して駄目だったら、気持ちを切り替えて、別の新しい作品で勝負してもらえたら、と思います。
新人賞なのだから、try&errorでいいんだと思います。おそれず、挫けず、新しい作品に挑戦していってください。
今2011夏の節電対応としてサマータイムを実施したところ、9:30の開館が好評でした。
つきましては、10月1日より通年、従来の10:00~17:00を30分繰り上げ、利用時間を9:30~16:30(ただし、入館は16:00まで)とさせていただきます。
よりいっそうのご利用をお待ちします。(運営事務局)
1999年に開館したミステリー文学資料館は、2000年から2002年にかけて「幻の探偵雑誌」(全10巻)を、2002年から2004年にかけて「甦る推理雑誌」(全10巻)を編集刊行し、戦前から昭和30年代までの傑作ミステリーを、雑誌ごとに集大成いたしました。幸いにも高い評価をいただき、さらに、『江戸川乱歩と13の宝石』(全2巻)と『江戸川乱歩と13人の新青年』(全2巻)も編集刊行いたしております。
今回、それに続く新しいアンソロジーを、雑誌での区分に時代性を加味して企画いたしました。ミステリーもまた、歴史の流れと無縁ではありません。政治や経済の動向に少なからず影響されてきました。先のシリーズでは枚数の関係で収録を見合わせた中長編、随筆や評論にも注目した多角的な構成によって、そうした時代性が窺えることでしょう。
本書は1938(昭和13)年の「新青年」に注目しています。前年の7月に勃発した日中戦争によって、日本は戦時体制となりました。探偵雑誌が相次いで廃刊され、「新青年」では戦争関連記事が多くなっていきます。娯楽である探偵小説の執筆がしだいに制限されていくなか、作家たちはどう創作活動を続けていったのか。そんな社会情勢のなか、どんな傑作が書かれていったのか。存分にお楽しみください。(「まえがき」より)
収録作品は「猟奇商人」城昌幸、「薔薇悪魔の話」渡辺啓助、「唄わぬ時計」大阪圭吉、「オースチンを襲う」妹尾アキ夫、「懐しい人々」井上良夫、「『悪魔黙示録』について」大下宇陀児、『悪魔黙示録』赤沼三郎、「一週間」横溝正史、「永遠の女囚」木々高太郎、「蝶と処方箋」蘭郁二郎です。
解説は山前譲。巻末資料として、1937~39年の「世相と探偵小説の動向」を年表にまとめました。ぜひ、ご一読ください。
香山滋[1904−75]
大蔵省に勤務していた1946年、推理小説専門誌「宝石」の第1回懸賞小説に「オラン・ペンデクの復讐」で入選、48年に「海鰻荘奇談」で第1回探偵作家クラブ賞新人賞を受賞する。「エル・ドラドオ」や「月ぞ悪魔」など、怪奇と幻想に満ちた作風でたちまち人気作家となり、いわゆる「戦後派5人男」のひとりとして精力的な創作活動をみせた。54年公開の大ヒット映画『ゴジラ』では原作を担当、『遊星人M』ほかSF小説も多い。
残念なことにこの6月27日、香山滋研究家として他の追随を許さなかった竹内博氏が急逝された。追悼の意も込めつつ、竹内博旧蔵書で、その個性的な作品世界を振り返る。
当資料館では夏場の節電対策として、サマータイムを実施します。
通常の開館時間 10:00~17:00 を、下記の通り短縮させていただきます。
●開館時間 9:30~16:00(ただし、入館は15:30まで)
●実施期間 7月20日(水)~9月20日(火)
●休館日 日曜・月曜(従来通り)
午前中の、少しでも涼しいうちにご利用ください。
ご理解とご協力を、よろしくお願いします。
(運営事務局)
光文文化財団では、「読書振興のために必要な文化事業」として、新たに光文社古典新訳文庫「感想文コンクール」を、第4回の今年から主催することになりました。
中学生部門、高校生部門、大学生・一般部門それぞれに対象図書が厳選されています。
1作品につき、400字詰め原稿用紙5枚以内(大学生・一般部門は10枚まで可)。
締め切りは9月26日(月)必着。
入賞発表は12月中旬。コンクールウェブサイトおよび「朝日中学生ウイークリー」紙上。
最優秀賞1名(賞状、3万円相当の図書カード)
優秀賞1名(賞状、2万円相当の図書カード)
審査員特別賞1名(賞状、1万円相当の図書カード)
*各部門共通
学校協力賞10校(コンクール対象図書21冊セット)
参加賞(応募者全員に特製クリアファイル、ただしお一人様一点)
第14回日本ミステリー文学大賞の大沢在昌さんが、〈新宿鮫〉シリーズの記念すべき第10作『絆回廊』(税込1,680円)を光文社より刊行されました。
親子、恩人、同胞、上司、組織……それぞれの「絆」が新宿の街に交錯したとき、人びとは走り出す。鮫島は、悲劇の連鎖を食い止められるのか?
「感傷」から「絆」へ──大沢在昌の世界展(イベント情報参照)では、『絆回廊』の生原稿はじめ、秘蔵写真パネル等を展示しています。ぜひ足をお運びください。
日本ミステリー界の始祖にして巨星である江戸川乱歩。
そんな乱歩を敬愛する当代の人気作家たちによる、"乱歩小説”を集めた傑作アンソロジーが刊行されました。
乱歩ファンにも、乱歩をさらに楽しんでみよう思う方にとっても、読み応え充分の一冊です。
「日本ミステリー文学大賞新人賞」は14回目にして、初の2作同時受賞。
贈呈式・祝賀会(3月17日)を前に、受賞作が光文社より刊行されました。
ぜひ、ご一読ください。
『煙が目にしみる』(「ハッピーエンドは嵐の予感」改題)
石川渓月
──大人よ、意地を張れ。負け犬では終わらない、終われない。ネオン街の片隅で起こった、タフでハートウォームな大反撃(オビより)
『大絵画展』
望月諒子
──容易に展開を予測させない、サスペンスフルなコンゲームストーリー。並々ならぬ才気と意気込みを感じる。綾辻行人(オビより)
受賞者
大沢在昌
選考委員講評(写真左より権田萬治・森村誠一・阿刀田高・逢坂剛の各氏)
阿刀田高
ハードボイルドに憧れた青年が
――よし、小説家になろう――
と強く願った日々があったにちがいない。
必ずしもデビューは恵まれてはいなかったろう。が、新人賞ののちの努力が、この作家の資質をみごとに開花させた。やはり当人がハードボイルド系の作品を愛して、愛してやまなかったからだろう。読者が本音でなにを好むか、この作家の体が知っていた、と私は思う。『新宿鮫』を始めとして刮目して見るべき作品が多い。作家として第一人者であるばかりか、推理小説の世界を活性化させるための配慮も行き届いている。一つには日本推理作家協会の理事長その他の立場で果たした業績が目立つが、それだけではない。同業者の支援や新人の育成など、良識ある主張もこの人ならではのものだ。今回の授賞は文句のないところ、心からお喜びを申し上げたい。大沢さんおめでとうございます。
逢坂剛
大沢在昌さんは、二十代前半の若さでデビューして以来三十有余年、今日までハードボイルド派の旗手の一人として、精力的に作家活動を続けてきた。当初は〈永久初版作家〉などと、自虐的なセリフを吐いた苦闘の時代もあったが、一九九〇年代前半に『新宿鮫』でブレイクしてからは、つねに先頭集団に占める位置を譲ることがなかった。日本推理作家協会の仕事についても、平理事の時代から実質的に協会を引っ張り、その発展に寄与貢献した。今日の協会の隆盛は、大沢さんに負うところが実に大きい。
また理事長在任中も、二〇〇七年に六〇周年記念事業を成功させるなど、その功績はとどまるところを知らない。さらに、みずから大沢オフィスを立ち上げ、作家の仕事に新しいビジネスの可能性を求めるなど、出版界にも多大の刺激を与えた。そうした業績を勘案すると、大沢さんの受賞はまことに時宜を得たものであり、中堅や若手の作家の励みになるに違いない。
権田萬治
大沢在昌氏は若き調査員佐久間公が探偵役として活躍するハードボイルド作品から出発したが、『新宿鮫』(一九九〇年)によって、警察小説に新しい地平を切り開いた。
ロバート・パーカー、デニス・レヘインなどのアメリカの私立探偵小説では、孤独な主人公が圧倒的な力を持つ巨悪と戦うために、あえて暴力的な人間と手を組むという傾向が強まったが、大沢氏は、警察内部に留まりながら、警察権力の腐敗と凶悪な犯罪者という二つの敵に対して困難な戦いを挑む新しい個性的なヒーローを作り出したのである。
現在、日本では警察小説ブームが続いているが、その中でも氏のこれまでの一連の作品は一際輝いて見える。
その後、氏は視野を国際的に広げ、次々とサスペンス豊かな作品を発表し、推理界に新しい刺激を与え続けている。
まさにミステリー文学大賞にふさわしい作家であり、今後の一層の活躍が期待される。
森村誠一
大沢在昌氏の受賞によって、本賞の位置は不動のものとなった感がある。
大沢氏の推理文壇に対する貢献は、いまさら言うまでもない。その経歴を見ても、まさに受賞の機は熟した。そのキャリアと共に、いま最も輝いている作家にこそ、本賞はあたえられる。
だが、功なり名遂げた方に対する功労賞とは異なり、受賞を発条として、さらに大きな飛躍が期待される作家に対する授賞として、大沢氏と出会えたことはまことに喜ばしい。大沢氏の受賞によって、本賞もさらに発展するであろう。受賞者と賞の出会いが、まさにジャストミートした形である。
受賞者・本賞の今後のますますの発展が期待される。
受賞作(2作同時受賞)
『ハッピーエンドは嵐の予感』石川渓月
『大絵画展』望月諒子
選考委員選評(写真左より石田衣良・近藤史恵・藤田宜永・綾辻行人の各氏)
綾辻行人
望月諒子『大絵画展』を推す。
すでにプロの作家として複数の著書を持つ人なので、さすがに小説を書く技術は安定している。才気も意気込みも感じる。冒頭からするりと物語に引き込まれ、少なからず存在する問題点もさほど気にならないまま、たいへん愉しく読み通せた。プロなのだからこのくらいは書けて当然、というような声もあったけれど、ここはあくまでも、一次・二次の予選を経て最終選考まで上がってきた一応募作品として、書き手のキャリアは度外視して評価するべきだろうと考えた。
とある世界的な名画の行方を巡ってのコンゲーム小説、と云ってしまって良いだろう。瑕瑾はいろいろ指摘できるものの、達者な文章で綴られるストーリーは容易に先を読ませずサスペンスフル。読み手に与えるストレスとそのリリースの案配がとても優れているうえ、洒落っけたっぷりの外枠が読後感の良さに貢献しているのも美点だと思う。
戸南浩平『青の彼方へなお遠く』。アイディアやプロットは悪くないし、「謎→伏線→解決」というミステリーの手法について意識的な姿勢も評価したい。のだが、主人公の十一歳女子の造形が度を越して「オヤジ的」である点に強く難を感じた。狙いは分からないでもないけれど、この失敗は厳しい。
市川智洋『明日への飛翔』は、嫌な云い方になるが、「小説になっていない」と思えた。三人称多視点による群像劇を描くには、基本的な技術と筆力が足りていない。そのため、ありがちなB級アクション映画の原案、というふうにしか読めなかった。
石川渓月『ハッピーエンドは嵐の予感』。この手の和製ハードボイルドに対する個人的な好き嫌いの問題はさておくとして、ここまでミステリー度の低い小説になると、どうしても僕は首を傾げざるをえない。が、「これも広義のミステリーとしてOK」という話なのであれば、あまり強硬な反対もできない。リーダビリティの高さは認めるところなので、『大絵画展』との二作同時授賞に賛成することにした。
石田衣良
今回は実力伯仲、ということはどの候補作も決定打に欠ける印象だった。題材はそれぞれカラフルで、プロットも練りこんでいるのだが、それを支える筆力が弱いというのが全般的な欠点。作中で扱う世界を削りこみ、リアルな手触りを描ければ、スリルも迫真力も増したのになあと惜しい気がした。
『青の彼方へなお遠く』
この作者は最終選考の常連だ。賞に手を届かせてあげたいと、関係者はみな思っている。女児殺害にかけられた一億円の懸賞金を巡る物語はスピーディで、読んで面白い。けれど探偵役の小学校五年生のヒロインとホームレスの会話は始終滑り気味で、台詞はどちらも完全に中年男性のもの。そろそろ女と男のコンビ探偵の型を捨てたほうがいいのでは。次回作に期待します。
『明日への飛翔』
細菌テロを女性精神科医が阻止するプロットはハリウッド風。ヒロインの専門性はまったく生かされない。女ランボー張りに身体を張っていく展開についていくのが困難に。ロケットから放たれた病原菌入りのカプセルを空中で捕獲する。それも東京上空で、趣味でダイビングをかじった程度の女医が……。アイディアが先行しすぎた結果、惜しくも作品まで空中分解してしまった。
『大絵画展』
ゴッホの名画一枚のために、コンテナひとつ二千億円分の絵画を盗み出す。設定は痛快で、実行犯の落ちぶれた男女との対比が切ない。ダイナマイトの使用法やなぜこのふたりが選ばれたのか、その理由は定かでないが、筆力は安定し最後には大絵画展という華やかなエンディングも用意されている。ぼくも同時受賞に反論はなかった。
『ハッピーエンドは嵐の予感』
福岡中洲の盛りを過ぎた街金業者が組織暴力団に挑むどこかで読んだストーリー。主人公がマムシで、自殺した親友はハブ。おまけに敵の組織の幹部の名は大政小政。これは古いなあと思っていたが、案外しっかり面白い。語りに熱量があって、つぎつぎと事件をつなぐ腕も達者。これまでの受賞作とはまったく異なる個性で票を集め、賞に届いた。おめでとう。
受賞者のおふたりにひと言。新人作家の生き残りは、ますます厳しくなっています。なんとか最初の五冊を出すまでは、石にかじりつくつもりで精進してください。
近藤史恵
『明日への飛翔』はロケットの知識などはおもしろく読んだものの、登場人物が作者の駒に過ぎない。主人公が自滅的な行動をとるが、その言い訳に無闇に枚数が割かれる。言い訳より不自然な行動をさせない方が重要である。また群像劇なのに、章が切り替わってもすぐに誰の視点かわからないのは大きな問題。悪とされるキャラクターが浅いのも気になった。
『青の彼方へなお遠く』はユーモアを含んだ文章のうまさ、読みやすさはあるが、大人びた少女にもホームレスにもリアリティが感じられない。インパクトの強いキャラクターを作ることにとらわれず、作者が深く掘り下げられる人物を描くべきだ。「この作者の世界」が強く感じられるのは魅力でもある一方、それを一度壊して踏み出さなければ、前進はないのではないか。最後に登場人物のひとりがほとんどすべてを語って終わらせるというのも稚拙である。
『大絵画展』はプロだけに、複雑な構成の作品をうまく作り上げている。既存の事件や絵画をうまくアレンジする力もある。ただ、構成が複雑なだけに、力の入った部分と粗雑な部分の差が歴然としすぎている。最後にあまりにすべてをまとめてしまったところも疑問は残る。タイトルのイメージをうまく裏切るあたりはとてもおもしろいし、構成力も候補作の中では頭ひとつ抜けている。ただ、読者は単に「うまくまとまった作品」を読みたいわけではない。そこがこの作者の課題ではないか。
『ハッピーエンドは嵐の予感』は古くさい作品である。しかし、このしょぼくれた中年男の物語には不思議な清潔感と魅力がある。登場人物たちが、それぞれ「自分の正義感」を持っていて、それがひとつにまとまらないところなどとてもいい。ただ、やはり小説として「新しい試み」は必要だ。でなければ読者にとっても新人の作品を読む意味がない。
図抜けた作品がなく、受賞作なしも考えたが、比較的美点の多い二作を受賞作とすることにした。
藤田宜永
『青の彼方へなお遠く』は文章のセンスを感じる作品だが、面白い話を作ろうとするあまり総花的になりすぎた。認知症、記憶喪失といった〝訳が分からない人〟を利用する場合は特に扱いに気をつけてほしい。
『明日への飛翔』を読んで思ったのは、アイデアは面白いが、これは映画の原案だと。上手な監督、脚本家に任せたら、面白いものに仕上がる気がしたのだ。しかし、小説としてどうなのか、と考えると、登場人物、場面等々の描き方に不満を感じた。大団円で主人公が危険をおかしてスカイダイビングをするが、そうせざるをえない動機がよく分からない。先にスカイダイビングのシーンが頭に浮かんだとしても、それまでの主人公の動きに納得できるものがないと、いい意味で読者を騙せない。
今回は受賞作が二作品となった。
『大絵画展』の作者はすでに何作かの作品を世に出しているプロだそうだ。さすがにプロだから文章には安定感があった。以前の作品は読んでいないが、今回の作品は作者の小説観や資質に合っていないと感じた。徹底的なコンゲームにすればもっとすかっとしたドラマになった気がする。この方は、大がかりではない作品でもって、読者をつかむことができるかもしれない。
もうひとつの受賞作『ハッピーエンドは嵐の予感』は、極めて古風な作りの小説である。味わいは違うが、竹内力主演の『難波金融伝・ミナミの帝王』の博多版といってもいい人情ハードボイルド。候補作の中で、この作品が一番安定して読みやすかった。しかし、欠点は、地上げ屋時代の主人公の悪さにはまったく触れられていないこと、なぜ、メロンというオカマに心が動いたのかが不明……といくつもある。ユーモラスな小説にもぴりっとした毒があった方がより作品に厚みがでると思った。
日本人或いは日本で生まれ育てば、誰でも日本語ができる。ピアノを弾く、絵を描く、アニメや映画を作るよりも、小説ははるかに入りやすい分野だ。誰もが小説を書け、それを発表する場もある。それは裾野が拡がっていいことだが、お手軽な分だけ、落とし穴もある。アニメ、ゲーム、映画などなど……面白い物語はいくらでも見つけられる。応募者が問われるのは、なぜ活字で勝負をしたいのかということだ。小説家になりたいのか、小説を書きたいのか、もう一度原点に立ち返って真面目に考えてもらいたい。
*両賞の詳細は「小説宝石」12月号に掲載されています。
第14回 日本ミステリー文学大賞 *詳しくは「賞について」をご覧ください。
第14回 日本ミステリー文学大賞新人賞 *詳しくは「賞について」をご覧ください。
「小説宝石」11月号に、下記の通り第14回「日本ミステリー文学大賞新人賞」の予選通過作品が告知されています。
タイトル青色の4作品は最終候補作品
*
最終選考結果は「小説宝石」12月号に掲載予定
7月2日、東京・神楽坂の「日本出版クラブ会館」において、上記「お祝い会」が催されました。
およそ150名の方々が駆け付け、会場は超満員。
1960年に「感傷の効用――レイモンド・チャンドラー論」でデビューされ、その後今日まで、ミステリーを中心に多彩な評論活動をつづけておられる権田萬治さんは、3月31日まで、当資料館の館長でもありました。
会の発起人は、大坪直行、小鷹信光、島崎博、夏樹静子、森村誠一(50音順)の各氏。
まず新保博久氏が、運営事務局を代表して会の趣旨説明。
つづいて森村誠一氏のスピーチ、夏樹静子さんからの記念品贈呈、宮部みゆきさんからの花束贈呈がありました。
これを受けて、権田さんからのお礼の言葉、島崎博氏による乾杯とつづきます。
記念撮影ののち、しばし歓談。
「荒野の七人」のテーマが流れるなか、逢坂剛Vs霞流一両氏による早撃ち対決と、大沢在昌Vs北方謙三両氏のマシンガントーク(?)で、会場は大盛り上がり!
あっというまに時は流れ、小鷹信光氏の結びの言葉で終会。
作家・評論家・編集者・権田さんの教え子など、各方面の方々が和気あいあいと過ごされ、権田さんのお人柄そのままの、たいへん楽しい会となりました。
お待たせしました。
好評の『シャーロック・ホームズに愛をこめて』に続く、決定版ホームズ贋作集第2弾が刊行されました。
不景気な英国から日本に出稼ぎにきたホームズが、難事件を鮮やかに解決する赤川次郎の「絶筆」、妊婦たちが探偵になって謎に挑む、ユーモアあふれる松尾由美の「亀腹同盟」など、日本の作家ならではの趣向を凝らしたホームズ譚です。
英国の作家コナン・ドイルが生み出した名探偵シャーロック・ホームズの活躍する冒険譚は、世界中で支持を受けています。
そのコナン・ドイル生誕150+1年を機に、彼を愛する日本人人気作家によるパロディ/パスティーシュを集めたのがこの一冊。
7月には『シャーロック・ホームズに再び愛をこめて』と題する第2弾のアンソロジーも刊行が予定されています。
第1弾は、おかげさまで売れ行きも好調とのこと。どうぞご一読ください。
資料館から新たに刊行された上・下2冊です。
汽車、汽船、乗合バスなどさまざまな乗り物を、事件の舞台や小道具として取り入れた、戦前の懐かしい探偵小説の、個性的な短編を精選し、収録したのもです。
現代のミステリーとは違う独特の探偵小説の魅力を伝えるものになっています。レトロな味わいをご堪能ください。
もう一つの開館10周年記念行事として企画された館内展示「『新青年』の作家たち」も10月17日からスタートしました。
大正9年(1920年)1月、博文館から創刊された雑誌「新青年」は、戦前の江戸川乱歩、横溝正史、小栗虫太郎、夢野久作など数多くの探偵作家が活躍した雑誌として知られています。最初は若者の修養雑誌として編集されたこの雑誌はミステリーに詳しい編集長森下雨村の手で、次第に戦前の探偵作家の登竜門に生まれ変わって行きました。
そこに発表された長編の名作の多くは戦後再刊され、短編も何冊ものアンソロジーに収録されています。そういうわけで、雑誌の名前はミステリー・ファンの間ではよく知られていますが、この雑誌は、現在では所蔵している図書館が限られており、たとえ所蔵していても、そのほとんどがマイクロフィルムでの閲覧しか認めていないので、現物を目にする機会は非常に限られています。
ミステリー文学資料館では、特別コレクションとしてこの「新青年」400冊を極美本で所蔵するとともに、一部を1階の開架書棚に配置し来館者が手に取って読めるようにしていますが、今回の館内展示は、資料館のコレクションをもとに、当時の雰囲気を伝えるモダンな雑誌の表紙、探偵趣味の濃厚な挿絵などのほか、同誌に連載された小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、横溝正史の『鬼火』などの初版本、また、同誌の編集長を務めた作家水谷準の日記などを展示しています。
文字通り幻の雑誌でもある戦前の探偵小説雑誌「新青年」の魅力的な世界をどうぞお訪ねください。
展示期間は来年の2月の13日までです。
開館記念イベントとして10月から11月にかけて毎週土曜日に9回連続で開催されるトーク&ディスカッション「『新青年』の作家たち」の第一弾「江戸川乱歩」が10月3日の午後、資料館地下会議室で開かれました。
講師は名張市立図書館の『江戸川乱歩リファレンスブック』(3巻)を編纂した気鋭の江戸川乱歩研究者の中相作氏。
当日は神奈川近代文学館で「大乱歩展」がオープンした日でもありましたが、予定どおり参加者で会場はいっぱいになりました。
中氏は、乱歩が『幻影城』の「探偵小説の定義と類別」の中で、「探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く径路の面白さを主眼とする文学である」としている点について、「難解な謎でなく、秘密となっているが、説明のところでは謎とも書いている。これはどうしたことか。最初から謎でも良かったのではないか」と問題を提起するとともに、「乱歩の処女短編『二銭銅貨』などを読んでも、これが探偵小説なのかどうか、と思うような側面がある。乱歩の『探偵小説四十年』は、ファンにとっては、いわば聖典のようなものだが、記憶違いなどもあって、けっこう誤りもある」と指摘、、会場からは、「二銭銅貨」の当時の受け取られ方などさまざまな質問や意見が出され、小研究会らしい雰囲気に包まれました。
7月9日のニュースで、「斜め屋敷」模型が8月7日に台湾での展示のため搬出される、とお伝えしましたが、模型の搬出のみ中止となりました。
そのため、「斜め屋敷」模型は会期終了の8月29日までご覧いただけます。
どうぞご来館ください。
ご好評を頂いている島田荘司展ですが、8月7日(金)に、以下の3点が、台湾で開催される島田展のために撤去されます。
したがって、斜め屋敷模型その他をご覧になれるのは、搬出のための準備も含めて8月5日までとなります。
どうぞそれまでにお越しください。
昭和と大正の探偵小説に関心を持つ研究者、愛読者にとって実に便利で役に立つ雑誌の書誌が刊行されました。
日外アソシエーツから出版された山前譲編、ミステリー文学資料館監修の『探偵雑誌目次総覧』です。
これまで、戦前の探偵小説の作品や評論について調べようとしても、まず、雑誌や本が図書館などになかったり、かりに掲載誌がわかっても何年の何月号かわからなかったりということが多くありました。現在では、ミステリー文学資料館が戦前・戦後の有名な探偵雑誌・推理雑誌などを収集保存しており、また、さまざまな国公立図書館や大学図書館などでも、収集する動きが盛んになっています。そういうわけで、その時代の雰囲気を感じながら当時の雑誌を読むこともかなり可能になっています。しかし、どんな作家がどんな雑誌にいつ執筆したかについては、これまでは、1950年代に探偵小説年鑑に掲載された中島河太郎の「日本探偵小説総目録」、「探偵小説研究評論目録」くらいしか手がかりがありませんでした。
その意味で、今回の『総覧』は実に便利な本です。「探偵趣味」、「ぷろふいる」、「探偵文学(シュピオ)」をはじめ「宝石」(岩谷書店)、「ロック」など戦前・戦後の有名な探偵・推理雑誌35誌約1,200冊の目次をすべて収録しており、それぞれが、どんな雑誌だったかについての解説、小説はもちろんのこと、評論、随筆、座談会などの内容細目もわかるようになっています。
また、執筆者から雑誌名と掲載号を調べることも執筆者名索引で引けば簡単にわかります。
探偵雑誌の目次を正確にこういう形で書誌学的にまとめることは、実は大変な労力が必要です。まず、これらの雑誌そのものがなかなか図書館などに所蔵されていないことで、ミステリー文学資料館にもない資料がたくさんあります。そのため、まず、当該雑誌のある場所を突き止め、それぞれの内容を実物で確認しなければなりません。その手間が本当に大変なのです。
もう一つ、便利なのは、取り上げられている雑誌を資料館が所蔵しているかどうかが一目でわかるようになっている点です。
これらの探偵・推理雑誌は公共図書館では所蔵していないことが多いので、まず、資料館にあるかどうかをチェックしてから他の図書館に当たる方が効率的ですが、この『総覧』のおかげで資料館になければ、例えば国会図書館や神奈川近代文学館、あるいは三康図書館などに当たるということが可能になりました。
ただし、戦前の有名な雑誌「新青年」の目次はこの『総覧』には収録されていません。
その最大の理由は、余りにもデータが膨大なためです。
「新青年」に掲載されている作品については、『新青年傑作選5読物資料編』(立風書房、1970年)の中島河太郎「『新青年』所載作品総目録』や「新青年」研究会編の『新青年読本全一巻 昭和グラフティ』(1988年)」の「『新青年』全巻総目次」、『幻の探偵雑誌10「新青年」傑作選』(光文社文庫、2002年)の山前譲編「『新青年』作者別作品リスト」などを参照して頂きたいと思います。いずれも資料館で所蔵しております。
『総覧』の編者山前譲氏は、ミステリー研究家で、文庫の解説やアンソロジーの編纂者として広く知られておりますが、特に書誌学的研究が専門で、2003年には、江戸川乱歩の蔵書に関する新保博久との共著『幻影の蔵』で日本推理作家協会賞を受賞しています。また、資料館の運営委員でもあります。
海外には例えば、Michael.L.Cookの Mystery, Detective and Espionage Magazines(1983年)やAllen.J.Hubinの Crime Fiction A Conprehensive Bibliography 1749~(1989~)など有名な雑誌・単行本の書誌がありますが、この『総覧』もそれに劣らぬ優れた労作といえます。
なお、この『総覧』約900ページ、定価は1万9千950円で、個人が購入するには値段が少々高いかも知れませんが、研究者には必携の書誌と思います。
資料館にはレファレンスの棚に2部置いてありますので、是非手に取って、ご活用頂きたいと思います。(権田萬治)
さる10月21日に赤坂プリンスホテルで開かれた笹沢左保氏の7回忌のパーティーの席上、笹沢佐保子夫人から光文文化財団の並河良理事長に対し、ミステリー文学資料館に笹沢左保氏の全著作(文庫本を含む)と遺品の一部を寄贈したいとして、その目録が手渡されましたが、12月3日、これらの資料がご自宅から資料館に搬入されました。資料館ではこれらの資料を特別コレクションとして大切に保存するとともに目録を作成して、利用者に役立てるため、作業を進めています。
ミステリー小説の楽しさの一つに、「犯人当て」があります。
本書は江戸川乱歩が関わった〈犯人当て小説企画〉からセレクトした短編を収録しています。
木々高太郎、鮎川哲也、山村正夫、土屋隆夫、水谷準らミステリーの名手が作り上げた挑戦状に、ぜひみなさんも挑んでください。
2009年1月には、続刊として、『江戸川乱歩の推理試験』の発刊が予定されています。そちらもまた、お楽しみに。
ミステリー文学資料館では、このほど、戦前の探偵小説の主要な発表舞台となった雑誌『新青年』の揃い全400冊を古書店から購入しました。『新青年』は、1920年(大正9年)1月から戦後の1950年(昭和25年)7月まで、400冊発行され、江戸川乱歩が処女短編の「二銭銅貨」を発表したのをはじめ、小酒井不木、小栗虫太郎、夢野久作、木々高太郎、横溝正史、大下宇陀児など戦前の日本を代表する探偵作家が優れた作品を執筆、また、多くの海外ミステリーを翻訳紹介したことで知られる雑誌です。しかし創刊されてから90年近い歳月を経た現在では、この雑誌が全冊が保存状態のいい形でほぼ揃いで見つかることはまず、ありません。
資料館では、古書店などを探し、343冊そろいのものや、戦前から昭和15年までの222冊そろいのものなどがあることは確認しましたが、今回購入したものは、400冊の内、大正10年3月発行の第2巻第3号と同第2巻8号が欠号でコピーとなっていますが、残りは極めて保存状態のいい極美のもので揃っており、26ある付録の内21が付いています。
国会図書館や神奈川近代文学館なども『新青年』は所蔵していますが、入館者はマイクロフィルムしか利用できませんし、付録はないようです。
資料館では、1階開架書棚にすでに『新青年』を利用できるように並べてありますが、初期の発行分は、復刻版、また、その後の発行分はかなりのものが、表紙が取れたりしているなど、保存状態が余り良くなく、また、欠号が目立っていました。今回の特別コレクションの購入は、この空白を埋めるものですが、コピーなどによって破損、損傷などがひどくなる恐れがあるため、書庫内に保存し、館長の特別許可が出た場合にだけ、利用して頂くことになります。コピーや閲覧は原則としてこれまでの開架書棚にある資料をご利用頂きますが、研究・評論などでどうしても現物で確認したい場合などに、特別許可によりご利用頂ける道が開けることになったわけです。
最後にお願いですが、欠号分の『新青年』をお持ちで、お譲り頂ける方が居られれば、どうぞ資料館にご一報ください。よろしくお願いします。